今日で私の50歳の誕生日。すごいもんだ、みなさんのおかげだ、とさすがにしみじみ感心する。誕生日の日中は「逃亡」と称して、行き先を言わずにフラッと外出して帰って来るのがここ数年の恒例。今年は逗子の海をみて、弁当を食べて、砂をほじくって貝やガラス片を拾って、帰って来たのだが、夕方から楽しみな取材のアポを取っていた。
自由が丘には、バス会社が運営する路線バスのほかに「サンクスネイチャーバス」という廃油で運転される、知る人ぞ知る私営バスがある。
場所をどんな場所にするか、沢山の人に会って意見を聞いて来たが、小山内さんのお話を聞いてから(その時、娘と一緒に行動してから)「グループホームと名がついただけでは住居にはなり得ない、しょせん小さな施設だ」という考えをはっきり認め、向き合えるようになった。特別な施設として孤立せず、ありふれた住居となるための装置・仕掛けが絶対に必要なのだ。その装置・仕掛けはグループホームの中に設けるものだろうか、否、その場所の外、つまり、環境、地域に設けるものだ。
どんな装置・仕掛けがあるだろう。例えば、横川由紀さんたちの、D.I.Y.はすごくいい仕掛けだ。はこだての家・日吉の、住人にも地域の人にも開かれた食堂も、効果的な装置だ。では、あそこにとてもいいアイデアは?……。
そうやって、装置・仕掛けのことを考え出して、あの地域のことを思うようになり、最初に浮かんだ装置が、「コミュニティバス」だった。(私は自分が車の免許を持っていないので実感をともなって分かるのだけど)徒歩圏と言われる小さな範囲で、乗り降り自由なバスさえあれば、どんなに高齢になっても、家族に頼ることなく、好きなタイミングで買い出しとか日課とか、日常の用事を足せる。ご近所さんを訪ねることができる。また、足のかわりとしてのバスは、日々の知り合いを作る場にもなる。
それに、ここ数年、ブラブラする「街あるき」という観光が流行っているし、TV番組もこればかりは面白い。新幹線の新駅が出来て、温泉施設や観光農家やキャンプ場、八郎沼公園など近隣の人が訪れる小さな観光スポットに恵まれた大野地区での、よそから来たひとの観光は「街あるき」がもってこいだ。隣の函館とはまったく違った方法での観光が楽しめる。こういうとき「コミュニティバス」はもってこいだ。
そこで、自由が丘で、少し街のはずれの方にある商店やスポーツ施設のオーナーが出資しあって(出資者のところにバス停を設けるというシンプルなアイデアで)、バスを運営しているというユニークな、そして何より、私にとってなじみのある街のコミュニティバスを運営している「サンクスネイチャーバスを走らす会」に取材を申し込んだところ、今日、お会いすることになったのだ。
(続く)
2014年12月26日金曜日
2014年12月20日土曜日
誰ひとり拒まないという覚悟・態度
ついに昨日、道南福祉ねっとさんのTOMOハウス(喫茶店)を訪ねた!
今回は、図々しくも、前回相談に乗っていただいた「はこだての家・日吉」のゲストルームに泊めていただいた。朝夕ご飯は食堂で食べられるし、料金は申し訳ないほど安いし、バリアフリーなので、私がもし車いすユーザーだとしても安心だ。札幌の「アンビシャス」を思い出しながら、「こういう気軽に使えるゲストルームって、いいな」と実感。
作ろうとする場所にもぜひひと部屋欲しいなあ、と思う。障害のあるひとの(障害者サービスの)「自立生活体験ルーム」としてでもいいけれど、障害のあるなしにこだわらない部屋にすれば、小山内さんもおっしゃっていた「結局は孤立した施設」にならないための風穴、仕掛けにもなりうるし、とまた思いが、広がりとっ散らかる。
一昨日夕方に空港に着く。雪は思ったより積もっていないみたい。3年前からのつきあいになる変形股関節症のため、痛みが酷いとき、ときどき活躍しているポール(スキーのストックみたいなヤツ。ノルディックスキー用)を持って来たから大丈夫。突然の連絡にも関わらず、北林さんがタクシーを回してくれ再会、「はこだての家・日吉」に送って下さる。日吉で対応してくださったスタッフの方も、北林さんも上磯在住ということで、地域活動のことでお話が盛り上がる。自分を介して、人と人とがつながるのって、とても嬉しい。
TOMOハウスの場所をググると、JR七飯駅から徒歩10分以内。今日は、北斗市の場所に寄って墓前で祖母に状況を報告してから、路線バスで新幹線新駅を建設中の渡島大野駅に行くルート。七飯駅はその隣駅だ。タクシーは不要そう。晴れているので迷わず最寄りの路面電車の駅までポールをつきつき歩き、出発。
新幹線新駅の内装はかなり出来上がっていた。でもまた渡島大野駅は残って稼働している。ホームから、途中まで延びた作りかけの新駅のホームが見える。
TOMOハウスに着くと、トーキングエイド(文字入力・音声読み上げ装置)を膝の上に置き車いすを使っている四村さんが出迎えて下さった。実は、こんなにそっくり息子と同じ状況のひとに出会ったのは初めてで驚いてしまった。息子は小五で手に入れたiPadのアプリとしてトーキングエイドが使えるようになって以来、おしゃべり(会話)ができるようになり、また中学校にあがってからは、学校に持ち込みが許可されたことも手伝い、本当におしゃべりになった。四村さんも、かなりマシンガントークのかたのようだ。
対応してくださった高橋さんも見え、しばらくお話していると、理事長の成田さんがさっそうと登場された。あいさつのあと、最初におっしゃられた言葉が
「あの、シバタさん、でしょ? パブコメの」、である。
文科省にあてたパブコメを読んで下さったと言う。すっかり忘れていたのだけど、数年前に、患者会の連絡会から声をかけていただき、特別支援教育に関するパブコメを書いたものが、たしかに文科省のホームページに掲載されていた。しかし当の文科省の人以外に、いやその人たちだってちゃんと読んでくれたかどうか怪しい(失礼!)ような、そんな世界の果てにひっそりと存在するテキストを、このかたは読んだとおっしゃる。もともとは、教員だったかた。
そのあとは「インクルージョン」についての組織の理念から、ご自身の熱い思い、そして、現在の福祉業界の状況、教員だったころの取り組みなど、語って下さった。ただただ共感を持って感服するばかり。途中で「しまった!メモも音も録ってない」とインタビュー記事にできないことを悔やんだ。時間を巻き戻したいと思った、それほど、魅力的なお話だった。なにより「誰ひとり拒まないという覚悟・態度」ですべてを運営するというこの道南福祉ねっとの心意気は「インクルージョン」そのものだ。
ぜひ、土地をもらって活用して下さいませんか。……と申し出ると「いや、柴田さんの思いを実現する運営主体の団体、NPOなりを立ち上げてご自分でやったほうがいい。同じ志を持つかたですから相談は嬉しいことだし、協力します。協力するというだけでなく、丁度、社会福祉法人の改正の動きがあり、その中で、法人は公益事業などほかの小さな団体の活動を手助けすることを奨励されるようになるので、協働もできるはずです」とアドバイスを受けた。
その後は、高橋さん・四村さんと一緒に、札幌の全国集会で登壇されていた、場所から徒歩5分の大野農業高校の山下先生をたずねて構想を説明し、学校ともなにか協力したいと申し出る。まだ雲を掴むような話なのに、また、試験中のお忙しい時期なのに、丁寧に聞いて下さり、ボランティアの部活や、生活科で介護を学ぶ生徒もいるので、関われるかも知れない、というお返事をいただいた。
こうしてアイデアを分かち合い、行動できたのは初めて。責任もどっかり重くなってしまったけど、それにしてもこの、心強さ。こうなってしまったからには、絶対に形にする、最大限役立つ形で。
楽しみだ、大変だ、楽しみだ、……。
今回は、図々しくも、前回相談に乗っていただいた「はこだての家・日吉」のゲストルームに泊めていただいた。朝夕ご飯は食堂で食べられるし、料金は申し訳ないほど安いし、バリアフリーなので、私がもし車いすユーザーだとしても安心だ。札幌の「アンビシャス」を思い出しながら、「こういう気軽に使えるゲストルームって、いいな」と実感。
作ろうとする場所にもぜひひと部屋欲しいなあ、と思う。障害のあるひとの(障害者サービスの)「自立生活体験ルーム」としてでもいいけれど、障害のあるなしにこだわらない部屋にすれば、小山内さんもおっしゃっていた「結局は孤立した施設」にならないための風穴、仕掛けにもなりうるし、とまた思いが、広がりとっ散らかる。
一昨日夕方に空港に着く。雪は思ったより積もっていないみたい。3年前からのつきあいになる変形股関節症のため、痛みが酷いとき、ときどき活躍しているポール(スキーのストックみたいなヤツ。ノルディックスキー用)を持って来たから大丈夫。突然の連絡にも関わらず、北林さんがタクシーを回してくれ再会、「はこだての家・日吉」に送って下さる。日吉で対応してくださったスタッフの方も、北林さんも上磯在住ということで、地域活動のことでお話が盛り上がる。自分を介して、人と人とがつながるのって、とても嬉しい。
TOMOハウスの場所をググると、JR七飯駅から徒歩10分以内。今日は、北斗市の場所に寄って墓前で祖母に状況を報告してから、路線バスで新幹線新駅を建設中の渡島大野駅に行くルート。七飯駅はその隣駅だ。タクシーは不要そう。晴れているので迷わず最寄りの路面電車の駅までポールをつきつき歩き、出発。
新幹線新駅の内装はかなり出来上がっていた。でもまた渡島大野駅は残って稼働している。ホームから、途中まで延びた作りかけの新駅のホームが見える。
TOMOハウスに着くと、トーキングエイド(文字入力・音声読み上げ装置)を膝の上に置き車いすを使っている四村さんが出迎えて下さった。実は、こんなにそっくり息子と同じ状況のひとに出会ったのは初めてで驚いてしまった。息子は小五で手に入れたiPadのアプリとしてトーキングエイドが使えるようになって以来、おしゃべり(会話)ができるようになり、また中学校にあがってからは、学校に持ち込みが許可されたことも手伝い、本当におしゃべりになった。四村さんも、かなりマシンガントークのかたのようだ。
対応してくださった高橋さんも見え、しばらくお話していると、理事長の成田さんがさっそうと登場された。あいさつのあと、最初におっしゃられた言葉が
「あの、シバタさん、でしょ? パブコメの」、である。
文科省にあてたパブコメを読んで下さったと言う。すっかり忘れていたのだけど、数年前に、患者会の連絡会から声をかけていただき、特別支援教育に関するパブコメを書いたものが、たしかに文科省のホームページに掲載されていた。しかし当の文科省の人以外に、いやその人たちだってちゃんと読んでくれたかどうか怪しい(失礼!)ような、そんな世界の果てにひっそりと存在するテキストを、このかたは読んだとおっしゃる。もともとは、教員だったかた。
そのあとは「インクルージョン」についての組織の理念から、ご自身の熱い思い、そして、現在の福祉業界の状況、教員だったころの取り組みなど、語って下さった。ただただ共感を持って感服するばかり。途中で「しまった!メモも音も録ってない」とインタビュー記事にできないことを悔やんだ。時間を巻き戻したいと思った、それほど、魅力的なお話だった。なにより「誰ひとり拒まないという覚悟・態度」ですべてを運営するというこの道南福祉ねっとの心意気は「インクルージョン」そのものだ。
ぜひ、土地をもらって活用して下さいませんか。……と申し出ると「いや、柴田さんの思いを実現する運営主体の団体、NPOなりを立ち上げてご自分でやったほうがいい。同じ志を持つかたですから相談は嬉しいことだし、協力します。協力するというだけでなく、丁度、社会福祉法人の改正の動きがあり、その中で、法人は公益事業などほかの小さな団体の活動を手助けすることを奨励されるようになるので、協働もできるはずです」とアドバイスを受けた。
その後は、高橋さん・四村さんと一緒に、札幌の全国集会で登壇されていた、場所から徒歩5分の大野農業高校の山下先生をたずねて構想を説明し、学校ともなにか協力したいと申し出る。まだ雲を掴むような話なのに、また、試験中のお忙しい時期なのに、丁寧に聞いて下さり、ボランティアの部活や、生活科で介護を学ぶ生徒もいるので、関われるかも知れない、というお返事をいただいた。
こうしてアイデアを分かち合い、行動できたのは初めて。責任もどっかり重くなってしまったけど、それにしてもこの、心強さ。こうなってしまったからには、絶対に形にする、最大限役立つ形で。
楽しみだ、大変だ、楽しみだ、……。
2014年10月1日水曜日
送った企画書
向野のグループホーム(仮称:シェアハウスHARUKORO)プロジェクト
メモ
ver.2014.9.30
柴田靖子
◆ 設置目的
親元を離れて自活したい障害のある、または認定はされていないが障害ゆえ排除され路上生活に追い込まれ社会に出て行けない若者支援を目的としたグループホーム。
自立生活体験棟も併設し、ゲストルームとして活用。自立生活体験棟にはユニバーサルシートを備えた多目的トイレを設置する。
食堂・庭は地域のひとやツーリストのための無料休憩所として開放し、趣味の集まりなどにも利用していただく。自立生活体験棟の多目的トイレは、地域のひとやツーリストも自由に利用出来るように案内する。
◆ 設置場所・設置主体・設置イメージ
北海道北斗市向野。現在建設中の新幹線「新函館駅(仮称)」から車で10分(自転車で30分強)。観光名所・法亀寺、分庁舎、市営温泉、市営プール、至近(←新駅設置後はシャトルバスなど公共交通ルートやレンタサイクル屋が出来るかも?そうすれば、八郎沼公園や体験農家、鈴木牛乳牧場などレジャー地にも便がよい。また、住人の就労先の選択肢も増える)。近隣にベーカリー、広大な農地、大野農業高校あり。スタンド設置での委託販売や食材提供、ボランティアスタッフ求人など提携の可能性あり?
古家は、居室数(定員)は4〜5部屋ほど。水回りはすべてリフォームの必要がある。
敷地内にはなれ(自立体験ルーム2室とスタッフルーム1室)を増築(ユニバーサルデザイン仕様、ログハウスなど安価で建てられるもの)。
庭の巨木は出来る限り残す方向で進めたい。
◆ LOVE&PLACE〜目からウロコの「空家問題」解消法〜(仮)執筆
設置主になってくださる事業所と、その後連携する路上生活支援事業所、空家問題に取り組まれている専門家などにご協力いただき、設置実現までのプロセス(手順ほか必要な手続きなど詳細も含む)を記録し、このシェアハウス設置までのプロセスを実践編として掲載し、その道のりを示すことで、今後、同じような支援を思い立った人に役立てていただくHOWTO本にまとめる。また設置実現に向けてよりよいアイデアを得て活かすために下記を取材しヒントになりそうなものは記事として掲載する。設置実現までのプロセスも取材も、すべてオープンソースとしてfacebookpageに許可をいただき次第、順次公表し、広く意見交換の場にしていく。
以上。
宛てた手紙
社会福祉法人 道南福祉ねっと
ご担当さま
とつぜんご連絡することをお許し下さい。
はじめてご連絡申し上げます。わたしは東京都目黒区在住の柴田靖子と申します。貴団体については、先日「障害児の高校進学を実現する全国集会in札幌」にお邪魔した際、資料集の広告ページで拝見しました。
実はいま、北斗市にある老母の土地(向野1-25-17)に障害のある人のためのグループホームをつくれないものかと考えはじめており、たくさんのかたがたの助言をいただきたくご縁を求めているところです。
そこは、長年借りて住まって下さっていた方が亡くなってからは、借り手も買い手もつかず放置されています。一年ほど前仕事でそちらに出向いた際、様子を見に寄ると、雑草どころか雑木が生い茂り古家のドアにたどり着けないほど荒れ果てようで、そのみじめな様に涙がでました。そこに障害のある若者のためのシェアハウス(どんなひとでも住まえるグループホーム・ケアハウス、ゲストルーム兼自立生活体験ルーム付き)をつくれないものかと考えてはじめています。
さて、わたしは二人の障害のある子に恵まれました。二人のおかげでたくさんの幸運な出会いに恵まれ、それまで知り得なかった障害のある方々と知り合い、学び感じる機会を得ています。その中で、路上生活をしているかたがたの多くが障害のあるひとだということを知りました。住む人がなくなり持ち主に持て余され打ち捨てられた土地がある一方で、障害ゆえ排除され、ひとところに住むことがかなわず不安の中で生きているひとたち(とりわけ若者たち)がいる理不尽を傍観している自分に腹が立って仕方なくなったのです。
そこで、路上生活をしている障害のあるかたが障害認定を受けられれば、障害者のためのサービスであるグループホームへの居住や生活介護が叶います。そうして生活の基盤が安定すれば、先が開けるのではないかと考えました。突飛なアイデアかと思ったのですが、すでにそのような事業を行っているかたが、お隣の神奈川県横浜市でいらして先日お話をうかがってきました。とにかくその土地の事情にみあった活動であるべきなので、そこに行ってすでにさまざまな活動をしているかたがたのお知恵やお力を借りるべきであると教えていただきました。そしてこれまで二度ほど足を運び、さまざまな方々のお話を聞くうち、まずは障害のある方の生活支援事業をすでに行っている事業所にアイデアを相談し、この土地と古家(もしかしたら内装工事で活用できるかも知れません)を使っていただけないかご相談すべきであること、その事業が叶ったら、路上生活の方の支援事業を行っている事業所にどうしたら障害があるために生活のスタートを切れない若者の障害認定や安定した住まいの提供がかなうのか相談する、という段階が必要だ、と気づきました。
そこでご相談なのですが、この土地と古家とアイデアを活用していただくことをご検討いただけませんでしょうか?支払いが必要な固定資産税額と同額の地代(年額3万円程度だと思います)でお借りいただけますし、ご負担でなくご希望でしたら、いずれ私が相続したのちは、支払いに必要な税と同額でお譲りすることも可能です。
企画書というにはつたないものですが、メモも添付させていただきます。
貴団体のホームページを拝見し、インクルーシブ社会に強い意欲と高い理念をお持ちであるとお見受けし、強く共感しました。もし少しでもご興味をもたれましたら、お声をかけていただければそちらにご相談にうかがいます。また、札幌でいちご会の小山内美智子さんにお目にかかり相談に乗っていただいた際、逆取材を受けました記事が、いちご会の会報「いちご通信」次号に掲載されると聞いています。そちらもご覧いただければ幸甚に存じます。
どうかご検討のほど、よろしくお願いいたします。
ご担当さま
とつぜんご連絡することをお許し下さい。
はじめてご連絡申し上げます。わたしは東京都目黒区在住の柴田靖子と申します。貴団体については、先日「障害児の高校進学を実現する全国集会in札幌」にお邪魔した際、資料集の広告ページで拝見しました。
実はいま、北斗市にある老母の土地(向野1-25-17)に障害のある人のためのグループホームをつくれないものかと考えはじめており、たくさんのかたがたの助言をいただきたくご縁を求めているところです。
そこは、長年借りて住まって下さっていた方が亡くなってからは、借り手も買い手もつかず放置されています。一年ほど前仕事でそちらに出向いた際、様子を見に寄ると、雑草どころか雑木が生い茂り古家のドアにたどり着けないほど荒れ果てようで、そのみじめな様に涙がでました。そこに障害のある若者のためのシェアハウス(どんなひとでも住まえるグループホーム・ケアハウス、ゲストルーム兼自立生活体験ルーム付き)をつくれないものかと考えてはじめています。
さて、わたしは二人の障害のある子に恵まれました。二人のおかげでたくさんの幸運な出会いに恵まれ、それまで知り得なかった障害のある方々と知り合い、学び感じる機会を得ています。その中で、路上生活をしているかたがたの多くが障害のあるひとだということを知りました。住む人がなくなり持ち主に持て余され打ち捨てられた土地がある一方で、障害ゆえ排除され、ひとところに住むことがかなわず不安の中で生きているひとたち(とりわけ若者たち)がいる理不尽を傍観している自分に腹が立って仕方なくなったのです。
そこで、路上生活をしている障害のあるかたが障害認定を受けられれば、障害者のためのサービスであるグループホームへの居住や生活介護が叶います。そうして生活の基盤が安定すれば、先が開けるのではないかと考えました。突飛なアイデアかと思ったのですが、すでにそのような事業を行っているかたが、お隣の神奈川県横浜市でいらして先日お話をうかがってきました。とにかくその土地の事情にみあった活動であるべきなので、そこに行ってすでにさまざまな活動をしているかたがたのお知恵やお力を借りるべきであると教えていただきました。そしてこれまで二度ほど足を運び、さまざまな方々のお話を聞くうち、まずは障害のある方の生活支援事業をすでに行っている事業所にアイデアを相談し、この土地と古家(もしかしたら内装工事で活用できるかも知れません)を使っていただけないかご相談すべきであること、その事業が叶ったら、路上生活の方の支援事業を行っている事業所にどうしたら障害があるために生活のスタートを切れない若者の障害認定や安定した住まいの提供がかなうのか相談する、という段階が必要だ、と気づきました。
そこでご相談なのですが、この土地と古家とアイデアを活用していただくことをご検討いただけませんでしょうか?支払いが必要な固定資産税額と同額の地代(年額3万円程度だと思います)でお借りいただけますし、ご負担でなくご希望でしたら、いずれ私が相続したのちは、支払いに必要な税と同額でお譲りすることも可能です。
企画書というにはつたないものですが、メモも添付させていただきます。
貴団体のホームページを拝見し、インクルーシブ社会に強い意欲と高い理念をお持ちであるとお見受けし、強く共感しました。もし少しでもご興味をもたれましたら、お声をかけていただければそちらにご相談にうかがいます。また、札幌でいちご会の小山内美智子さんにお目にかかり相談に乗っていただいた際、逆取材を受けました記事が、いちご会の会報「いちご通信」次号に掲載されると聞いています。そちらもご覧いただければ幸甚に存じます。
どうかご検討のほど、よろしくお願いいたします。
ついにはじめて企画書とメールを送る
旅から帰ってすぐに「社会福祉法人道南福祉ねっと」のホームページをチェック。
実績うんぬんはまずすっ飛ばして、書かれていることを何度も何度も読み返す。理念や的確なキャッチフレーズも大切だけど、テキストにはモニターの向こうにいるかたの心の置きようや態度が、どんなに繕ってもにじむもの。
そして、何度読んでも共感しか感じない。なんだ、いいじゃないか!
昨日時間ができたのでワクワクしながらメールを書き、小山内さんにお手紙を書いたとき作った企画書を手直しして添付して送った。すると昨日のうちにお心のこもったお返事が届いていた。同じ志を持つひとと出会えて大変嬉しい、法人で協議の上、お目にかかる日時をあらためて相談したい、とのこと。
感激。ドキドキ!
実績うんぬんはまずすっ飛ばして、書かれていることを何度も何度も読み返す。理念や的確なキャッチフレーズも大切だけど、テキストにはモニターの向こうにいるかたの心の置きようや態度が、どんなに繕ってもにじむもの。
そして、何度読んでも共感しか感じない。なんだ、いいじゃないか!
昨日時間ができたのでワクワクしながらメールを書き、小山内さんにお手紙を書いたとき作った企画書を手直しして添付して送った。すると昨日のうちにお心のこもったお返事が届いていた。同じ志を持つひとと出会えて大変嬉しい、法人で協議の上、お目にかかる日時をあらためて相談したい、とのこと。
感激。ドキドキ!
2014年9月23日火曜日
横川さんとD.I.Y.
昨日はノーマライゼーション財団の事務所に寄ってご挨拶をしてから札幌を発ち函館に着くともう昼下がりだった。札幌では、どうしても時間が取れなくて、従姉妹夫婦と伯母に会えなかったのが残念!
函館駅で坪内さんと待ち合わせて再会、車に乗せていただき、日吉の家を訪ねて三千恵さん(足もみマッサージの実験台募集ということなので便乗)とも再会。
坪内さんの車は、車いすユーザーの娘さんのために助手席が道路に向かって降りてくるようになっている。……ということで、娘、車の助手席、初体験のドライブに。車中で、そして食事をしながら、色々お話を聞き、おしゃべりをしながら考えを巡らした。
私は、障害のある若者の状況は現実とつき合う中で日々感じ取り、ほんの少しは知っているけれど、貧困や暴力にさらされている子ども・若者のことは身の回りで実感を持って危機を感じる機会はほとんどなかった。
根の深い課題があるとき、いまそこにある危機を回避する行動をとることと、根本をみつめ思いを大切に扱って本当に必要な行動をとることは、どちらも優先してはならず常に同時にやらなくてはいけないことだ。
私がやろうとしているのは、どちらだろう。と、いうか私にでもできるのはどちら?
今日は再び、坪内さんが車を出してくださり場所に向かった。お隣の松本さんとまたお会いでき挨拶。本当に優しいかたで、なんとお庭にたわわになっていたブドウをもいで、勧めて下さる。……美味しい!会社を退職されてからは、高齢のかたのデイケア施設などをやっている法人の理事をされているという。なんてラッキー!と思う。福祉系の職場に関係あるからというだけではなくて、娘と行動していると瞬時に分かるのだけど、このかたは、障害があろうとなかろうと、お金持ちだろうと貧乏だろうと、物わかりが良かろうと悪かろうと、同じ人間としてつきあえるかただ。愛犬くんと一緒に記念撮影をしてしまった。
坪内さんとはほとんど同時に「思いを実現する(役立つ)場所にするためには、スポンサー、運営主体になる存在が必要だ」という結論を提案しあい、作って下さった古家の図面をいただき、お別れした。
バスの時刻をみるとお昼どきだからか本数が極端に少ない。市役所分庁舎で前回仕入れた市報に出ていた「リフトつきタクシー」の広告を思い出し、電話してみると、今から一件仕事があるがそれが済んだら来ていただけるとのこと、前回まだ開店前だったアイスクリーム屋さんで待ち合わせることに。
リベンジとばかり行ったアイスクリーム屋さんには「臨時休業」の貼り紙。次第に喪服を来た方が集まって来る。ご不幸があったようだ。寄ってきた可哀想なくらい痩せた子ねこにスーパーで仕入れたのり巻きを分けているうちに来て下さった。
運転手の北林さんは、渡島地区のタクシー協会の理事もしているかたで、ご自身のお母さまが身体が不自由になったことから福祉タクシーをはじめられたということだ。たくさんの肩書きと名刺を何枚も持っている不思議なかただった。もっとも説明べたの私がこの旅の目的をとりとめなく話すのを聞いたあちらのほうもかなり不思議に思ったに違いない。
三千恵さんが紹介してくださった横川由紀さんの事務所「かんばす」に到着。新しい事務所と聞いていたのでピカピカの建物かビルの一室だと思っていたら現れたのは、大きな古い建物。中は倉庫のように仕切りがなくガラーンとしている。もとはレストランだったこの建物を借り、内装はすべてD.I.Y.で改装していく計画。そしてこのD.I.Y.を地域の人たちに「一緒に作ろう!手伝って!」と声をかけ、つながる仕掛けにしていこう、という……なんとナイスなアイデア。10人くらいの人が出迎えてくださり、気がついたら机を囲んで自己紹介タイム、そのあとは、わいわいおしゃべりしていた。
横川さんは物腰の柔らかい気さくなかた。何だかはじめてお会いした気がしなくてまた調子に乗ってくつろいでしまった……。何だか気になるピンクのモモクロTシャツを来ている青年は、かずヒーローさんというかたで近くで一人暮らしをしている、自立生活第一号のかただという。横川さんにピタリと寄り添っているタカヤさんはじめ、みなさんひとくせ二癖ありそうな魅力的な人ばかり。
函館の施策はかなりキビしいもので、旧態依然な考えからまったく抜けられていないという地域の現状も訊くうち、横川さん自身へのインタビューが不十分まま、空港に向かわなきゃならない時刻になってしまった。
北林さんは待っている間にご親切にも娘の車いすのタイヤに空気を充填してくださり、アイスクリームを食べそびれた話をすると、アイスクリーム屋さんがある空港近くの函館牛乳の工場に寄ってくださった。
たくさんの出会いとご親切に恵まれて、そもそも高かった期待をはるかに上回った旅だった。どんなものを目指すか、見えてきた!
函館駅で坪内さんと待ち合わせて再会、車に乗せていただき、日吉の家を訪ねて三千恵さん(足もみマッサージの実験台募集ということなので便乗)とも再会。
坪内さんの車は、車いすユーザーの娘さんのために助手席が道路に向かって降りてくるようになっている。……ということで、娘、車の助手席、初体験のドライブに。車中で、そして食事をしながら、色々お話を聞き、おしゃべりをしながら考えを巡らした。
私は、障害のある若者の状況は現実とつき合う中で日々感じ取り、ほんの少しは知っているけれど、貧困や暴力にさらされている子ども・若者のことは身の回りで実感を持って危機を感じる機会はほとんどなかった。
根の深い課題があるとき、いまそこにある危機を回避する行動をとることと、根本をみつめ思いを大切に扱って本当に必要な行動をとることは、どちらも優先してはならず常に同時にやらなくてはいけないことだ。
私がやろうとしているのは、どちらだろう。と、いうか私にでもできるのはどちら?
今日は再び、坪内さんが車を出してくださり場所に向かった。お隣の松本さんとまたお会いでき挨拶。本当に優しいかたで、なんとお庭にたわわになっていたブドウをもいで、勧めて下さる。……美味しい!会社を退職されてからは、高齢のかたのデイケア施設などをやっている法人の理事をされているという。なんてラッキー!と思う。福祉系の職場に関係あるからというだけではなくて、娘と行動していると瞬時に分かるのだけど、このかたは、障害があろうとなかろうと、お金持ちだろうと貧乏だろうと、物わかりが良かろうと悪かろうと、同じ人間としてつきあえるかただ。愛犬くんと一緒に記念撮影をしてしまった。
坪内さんとはほとんど同時に「思いを実現する(役立つ)場所にするためには、スポンサー、運営主体になる存在が必要だ」という結論を提案しあい、作って下さった古家の図面をいただき、お別れした。
バスの時刻をみるとお昼どきだからか本数が極端に少ない。市役所分庁舎で前回仕入れた市報に出ていた「リフトつきタクシー」の広告を思い出し、電話してみると、今から一件仕事があるがそれが済んだら来ていただけるとのこと、前回まだ開店前だったアイスクリーム屋さんで待ち合わせることに。
リベンジとばかり行ったアイスクリーム屋さんには「臨時休業」の貼り紙。次第に喪服を来た方が集まって来る。ご不幸があったようだ。寄ってきた可哀想なくらい痩せた子ねこにスーパーで仕入れたのり巻きを分けているうちに来て下さった。
運転手の北林さんは、渡島地区のタクシー協会の理事もしているかたで、ご自身のお母さまが身体が不自由になったことから福祉タクシーをはじめられたということだ。たくさんの肩書きと名刺を何枚も持っている不思議なかただった。もっとも説明べたの私がこの旅の目的をとりとめなく話すのを聞いたあちらのほうもかなり不思議に思ったに違いない。
三千恵さんが紹介してくださった横川由紀さんの事務所「かんばす」に到着。新しい事務所と聞いていたのでピカピカの建物かビルの一室だと思っていたら現れたのは、大きな古い建物。中は倉庫のように仕切りがなくガラーンとしている。もとはレストランだったこの建物を借り、内装はすべてD.I.Y.で改装していく計画。そしてこのD.I.Y.を地域の人たちに「一緒に作ろう!手伝って!」と声をかけ、つながる仕掛けにしていこう、という……なんとナイスなアイデア。10人くらいの人が出迎えてくださり、気がついたら机を囲んで自己紹介タイム、そのあとは、わいわいおしゃべりしていた。
横川さんは物腰の柔らかい気さくなかた。何だかはじめてお会いした気がしなくてまた調子に乗ってくつろいでしまった……。何だか気になるピンクのモモクロTシャツを来ている青年は、かずヒーローさんというかたで近くで一人暮らしをしている、自立生活第一号のかただという。横川さんにピタリと寄り添っているタカヤさんはじめ、みなさんひとくせ二癖ありそうな魅力的な人ばかり。
函館の施策はかなりキビしいもので、旧態依然な考えからまったく抜けられていないという地域の現状も訊くうち、横川さん自身へのインタビューが不十分まま、空港に向かわなきゃならない時刻になってしまった。
北林さんは待っている間にご親切にも娘の車いすのタイヤに空気を充填してくださり、アイスクリームを食べそびれた話をすると、アイスクリーム屋さんがある空港近くの函館牛乳の工場に寄ってくださった。
たくさんの出会いとご親切に恵まれて、そもそも高かった期待をはるかに上回った旅だった。どんなものを目指すか、見えてきた!
2014年9月21日日曜日
余市市で、自由な発想で事業を考える
新札幌で娘たちが電車に乗り込み合流、余市市へ向かう。ノーマライゼーション財団が発行している冊子で、余市市で障害のあるひとの住まいとしてだけでなく、日中、地域のかたが自由に利用できる場所として開放しているグループホームがあるという記事を読んで、お願いしたところ、快く取材に応じて下さったのだ。
駅に降りると「マッサン」というチラシやノボリがあちこちに。次のNHKの朝ドラの舞台がここ余市でエキストラで住民も参加したという新聞記事も。ここにニッカのウィスキー工場があることも創業者がマッサン(ドラマの主人公)だということもちっとも知らなかった。そして、例えば個人商店に宇宙がらみの名前が多いのが不思議だな、と思っていると、毛利宇宙飛行士の出身地なのだった。
グループホーム「樹の杜」は、幼いころからおつきあいのあった障害のある子どもたちの親ごさんたちで知恵を出しあい実現したグループホームだった。理事長の山本さん夫妻はとても親切に迎えてくださり、中も案内してくれた。住人の親ごさんたちはボランティアの理事となり経営側といいバランスで思いをぶつけながら運営している、という。必ずしも障害のある人という括りにとらわれない公的助成も増えて来ているので、自由な発想で考える余地はあると教えてくださった(インタビュー記事はホームページに掲載)。
「週末は、実家に帰るものと思いきや、ここが居心地がよくて帰りたがらなくて」と笑いながら住人である娘さんのことをおっしゃる言葉に、思いがこっちにいったりあっちにいったり動揺している親である私は、ものすごく励まされた。
札幌に戻り、目抜き通りで丁度やっていた「道内各地の美味しいものが集結!」というお祭りで夕食ということになる。人ごみの中で、日中、ボーッとしていた娘ががぜん元気に。食べることが好きだからか、それとも都会っこだからかなあ。
駅に降りると「マッサン」というチラシやノボリがあちこちに。次のNHKの朝ドラの舞台がここ余市でエキストラで住民も参加したという新聞記事も。ここにニッカのウィスキー工場があることも創業者がマッサン(ドラマの主人公)だということもちっとも知らなかった。そして、例えば個人商店に宇宙がらみの名前が多いのが不思議だな、と思っていると、毛利宇宙飛行士の出身地なのだった。
グループホーム「樹の杜」は、幼いころからおつきあいのあった障害のある子どもたちの親ごさんたちで知恵を出しあい実現したグループホームだった。理事長の山本さん夫妻はとても親切に迎えてくださり、中も案内してくれた。住人の親ごさんたちはボランティアの理事となり経営側といいバランスで思いをぶつけながら運営している、という。必ずしも障害のある人という括りにとらわれない公的助成も増えて来ているので、自由な発想で考える余地はあると教えてくださった(インタビュー記事はホームページに掲載)。
「週末は、実家に帰るものと思いきや、ここが居心地がよくて帰りたがらなくて」と笑いながら住人である娘さんのことをおっしゃる言葉に、思いがこっちにいったりあっちにいったり動揺している親である私は、ものすごく励まされた。
札幌に戻り、目抜き通りで丁度やっていた「道内各地の美味しいものが集結!」というお祭りで夕食ということになる。人ごみの中で、日中、ボーッとしていた娘ががぜん元気に。食べることが好きだからか、それとも都会っこだからかなあ。
全国集会でご縁の予感
朝は娘たちと別行動で「高校へ行こう全国集会 in 札幌」の分科会へ。するとなんと、その分科会のシンポジストとして北斗市の場所のすぐ近くにある大野農業高校の先生が登壇している!ビックリ。なんたる偶然。
しかも山田真さんもいる。山田さんが編集委員をされているジャパンマシニスト社の子育て雑誌「ちいさい・おおきい・よわい・つよい」は、娘が幼いころ、むさぼるように読んでずいぶん子育て中のしんどい気持ちが楽になったものだし、編纂された「育児大全」は赤ちゃんがはじめて生まれた知人へ贈るお祝いの定番にしている。実際にお顔を見るのははじめてだが、大恩人だ。
昨日の全体会の資料をもらう。中に、七飯にある「道南福祉ねっと」という社会福祉法人の広告が目に留まった。コピーに大きく「インクルーシブ社会」と書かれている。今、書いているテキストの中でも大きなテーマなのだが、未だに、インクルージョンは統合(インテグレーション)のことだと誤解されていることが多いので、この文字を見かけただけでドキドキ期待してしまう。
北斗市を含む「道南」(バカリズムが言うところの北海道を持つとしたら持ち手になる所)の障害のあるひとの住まいに関わること・経緯を調べれば、すぐ「渡島(おしま)コロニー」の活動がヒットする。小山内さんが子どもだった1960年代ころは、この国では、コロニー(障害のある人が安心して暮らせる福祉村・共同体)創設運動がもっとも先鋭的だった。その時代からずっと活動をしてきた団体。コロニーというと、収容施設同様、山の上とか人里離れた……という印象があるけれど、今では地域でのグループホームや福祉的就労の場を提供しているようだ。
実は、前回の旅で坪内さんとお話した後、経営主体となる現地で信頼の厚い団体を探しそちらに場所を提供するという方法もあるなあ……と考え、ここにコンタクトを取ってみようかと手紙を書くところまでいったが、「コロニー」の3文字がどうしても気になって出せないでいたのだ。
広告には「どんなひとも……」とも書いてある。七飯といえば北斗市の隣町のはずだ。戻ったらすぐホームページをチェックしてみよう。
しかも山田真さんもいる。山田さんが編集委員をされているジャパンマシニスト社の子育て雑誌「ちいさい・おおきい・よわい・つよい」は、娘が幼いころ、むさぼるように読んでずいぶん子育て中のしんどい気持ちが楽になったものだし、編纂された「育児大全」は赤ちゃんがはじめて生まれた知人へ贈るお祝いの定番にしている。実際にお顔を見るのははじめてだが、大恩人だ。
昨日の全体会の資料をもらう。中に、七飯にある「道南福祉ねっと」という社会福祉法人の広告が目に留まった。コピーに大きく「インクルーシブ社会」と書かれている。今、書いているテキストの中でも大きなテーマなのだが、未だに、インクルージョンは統合(インテグレーション)のことだと誤解されていることが多いので、この文字を見かけただけでドキドキ期待してしまう。
北斗市を含む「道南」(バカリズムが言うところの北海道を持つとしたら持ち手になる所)の障害のあるひとの住まいに関わること・経緯を調べれば、すぐ「渡島(おしま)コロニー」の活動がヒットする。小山内さんが子どもだった1960年代ころは、この国では、コロニー(障害のある人が安心して暮らせる福祉村・共同体)創設運動がもっとも先鋭的だった。その時代からずっと活動をしてきた団体。コロニーというと、収容施設同様、山の上とか人里離れた……という印象があるけれど、今では地域でのグループホームや福祉的就労の場を提供しているようだ。
実は、前回の旅で坪内さんとお話した後、経営主体となる現地で信頼の厚い団体を探しそちらに場所を提供するという方法もあるなあ……と考え、ここにコンタクトを取ってみようかと手紙を書くところまでいったが、「コロニー」の3文字がどうしても気になって出せないでいたのだ。
広告には「どんなひとも……」とも書いてある。七飯といえば北斗市の隣町のはずだ。戻ったらすぐホームページをチェックしてみよう。
2014年9月20日土曜日
小山内さんが教えてくれたこと
アンビシャスに荷物を置くと、もう時間ギリギリ。娘と介助のマッキーと、小山内美智子さんのご自宅へと急ぐ。セキュリティーのしっかりした堅牢な感じのマンションだ。小山内さんと、(会報「いちご通信」に記事を載せて下さるということで)逆インタビューをしてくださる元・新聞記者の伊藤さんが温かく迎えて下さった。
小山内さんは、本の読者として持っていた「女傑」「レジェンド」という勝手な印象とはまったく違って、最初から寛容さオーラを放つ物腰の柔らかい優しいかただった。図々しい私はまたそれにつけ込みまだベラベラとまくしたてているな……と恥じながら、止まらず。本当にどうしようもない私。
お話は、何というか……本当に豪華でリアルだった。たくさんのことを教えていただいたが、中でも、私の計画の中の登場人物がどんなにみな「へのへのもへじ」の顔つきをしているかを気づかされたのは本当に有り難かった。制度がどうの法律がどうの、とかどういう方法で、とか「これとこれを揃えればOK」という答えばかり求めていたが、それだけでは絶対にうまくいかない、何の役にも立たない代物ができる、という大切なことを、ご自身の経験を語って下さりながら、しっかりと教えてくださった(インタビュー記事はホームページに掲載)。
お話を聞く間中、テーブルの上のお菓子を貪り食っていた娘も優しく励まして下さり、この18歳もなんだか強力なお守りをいただいたような気がした。
小山内さんは、本の読者として持っていた「女傑」「レジェンド」という勝手な印象とはまったく違って、最初から寛容さオーラを放つ物腰の柔らかい優しいかただった。図々しい私はまたそれにつけ込みまだベラベラとまくしたてているな……と恥じながら、止まらず。本当にどうしようもない私。
お話は、何というか……本当に豪華でリアルだった。たくさんのことを教えていただいたが、中でも、私の計画の中の登場人物がどんなにみな「へのへのもへじ」の顔つきをしているかを気づかされたのは本当に有り難かった。制度がどうの法律がどうの、とかどういう方法で、とか「これとこれを揃えればOK」という答えばかり求めていたが、それだけでは絶対にうまくいかない、何の役にも立たない代物ができる、という大切なことを、ご自身の経験を語って下さりながら、しっかりと教えてくださった(インタビュー記事はホームページに掲載)。
お話を聞く間中、テーブルの上のお菓子を貪り食っていた娘も優しく励まして下さり、この18歳もなんだか強力なお守りをいただいたような気がした。
伊達市、天国系ビーチの家
「伊達市に素敵な土地が見つかった。シェアハウスを作ろうと思うので、札幌の初日、予定を変更して一緒に見に行こう」と安積さんから連絡があった。しかも「ハルちゃん(娘の名前)さえよければ、一緒に暮らしてもいいし」などと言う。即座に「無理無理」と断るが夜眠れずにそのことを考える。無茶苦茶なことを気軽に言ってくれるよあの人は、と動揺しながら、でも何てありがたい言葉だろう、とも思えて来る。
一泊になるのでスケジュール的に、全国集会の一日目、全体会を欠席しなくてはならないのは、とてもくやしいが仕方ない。
「もうすぐ18歳になる障害のある若者が親元を離れて北海道で共同生活をするという具体的な設定で、あれこれ想像をすることは、この計画の役に立つかもしれない」と今回の計画に役に立つ気もしてくる。
ということで、昨日午後は千歳空港に着いた途端、安積さんと李さんに出迎えられてそのまま駐車場に。そこから延々ドライブ。日暮れころ着いた伊達市で、有機野菜を使った美味しいレストランで“沁みる”夕食をいただき、知り合いの人がやっているという空家を利用したシェアハウスに雑魚寝。
そして今朝、再び車でその場所へ。広く静かな天国系ビーチの目の前、広大な土地にポツリと建つおしゃれな一軒家にはまだ主の若いご夫婦が住んでいて出迎えてくれた。
ビーチが見渡せる広い窓とグラウンドピアノ。旦那さんはピアニストで、まだここに暮らし続けたいと言うが、お連れ合いは子どもの教育などを考えて都市部に引っ越したいと思っているそうだ。(昨日、車窓から昭和新山をみてはじめて気づいたのだけど)火山どころだし大津波の恐怖もあるのかも知れない、と想像する。
しかしお話すればするほど、この家にはこの主しかいないというほどこの素敵な風景・家の一部のようなかたがたで「何とか住み続けて欲しいな……」などと心密かに願ってしまう。
駅まで送ってもらって安積さんたちと別れ、帰りは電車で札幌の「アンビシャス」へと急ぐ。
一泊になるのでスケジュール的に、全国集会の一日目、全体会を欠席しなくてはならないのは、とてもくやしいが仕方ない。
「もうすぐ18歳になる障害のある若者が親元を離れて北海道で共同生活をするという具体的な設定で、あれこれ想像をすることは、この計画の役に立つかもしれない」と今回の計画に役に立つ気もしてくる。
ということで、昨日午後は千歳空港に着いた途端、安積さんと李さんに出迎えられてそのまま駐車場に。そこから延々ドライブ。日暮れころ着いた伊達市で、有機野菜を使った美味しいレストランで“沁みる”夕食をいただき、知り合いの人がやっているという空家を利用したシェアハウスに雑魚寝。
そして今朝、再び車でその場所へ。広く静かな天国系ビーチの目の前、広大な土地にポツリと建つおしゃれな一軒家にはまだ主の若いご夫婦が住んでいて出迎えてくれた。
ビーチが見渡せる広い窓とグラウンドピアノ。旦那さんはピアニストで、まだここに暮らし続けたいと言うが、お連れ合いは子どもの教育などを考えて都市部に引っ越したいと思っているそうだ。(昨日、車窓から昭和新山をみてはじめて気づいたのだけど)火山どころだし大津波の恐怖もあるのかも知れない、と想像する。
しかしお話すればするほど、この家にはこの主しかいないというほどこの素敵な風景・家の一部のようなかたがたで「何とか住み続けて欲しいな……」などと心密かに願ってしまう。
駅まで送ってもらって安積さんたちと別れ、帰りは電車で札幌の「アンビシャス」へと急ぐ。
2014年8月25日月曜日
小山内さんへの手紙
福祉法人アンビシャス
小山内美智子さま
このたびは大変お世話になります。
9月20日・16時からインタビューをお願いいたしました東京都目黒区の柴田靖子と申します。お忙しい中、本当にありがとうございます。
週末、手紙を送らせていただいたのですが、その中で現在まとめている原稿と、今回北斗市にシェアハウス(グループホーム)を造ろうとするにあたっての企画メモを同封すると書きながら、舞い上がって手紙のみを送ってしまいました。本日別便で送らせていただきますのでよろしくお願いいたします。
さて、インタビューの内容ですが、下記のようなことを考えております。主に今グルグルと思いを巡らせている「住まう、暮らす」とはどんなことなのか、なにをもってノーマルなのかということについてヒントをいただきたいと思っています。的外れな部分やご不快な点などお気づきのことがあれば教えてください。
○スウェーデンに渡られた理由・きっかけが、主に親ごさんたちが主体となって作ろうと運動していた福祉村(コロニーと同義と考えてよいのでしょうか?)の話し合いに、障害のある当事者自らが発言をしはじめはじめて違和感を持ったことから、ということにとても心を動かされました。その当時は福祉村というのは最先端の思想(アイデア)だったのでしょうか。それはどんなことに抗って生まれたものだったのでしょう。また同様に、それに違和感を持たれた決定的なことは何だったのか(これは本を読んで私なりに理解したのですがズレているかもしれないので)ご本人のお言葉でお聞きしたいのです。
○「アンビシャス」は「住まい」になりえましたか。それともそれはやはり果たせず、目的が変容していったのでしょうか。解体/分散することはありえますか。今回の北斗市については、路上生活の若者や軽犯罪で刑務所と路上を行ったり来たりしている若者が障害のある人であるという判定を受ける手助けをすれば、グループホームのサービス(介援助サービスと住住所地をもつこと)が受けられ社会で人間らしくくらすスタートが切れる、というアイデアが出発点になっています。そのため「グループホーム(ケアホーム)」というもの自体について吟味する必要があると考え、すでにグループホームを作られているかた、いま作ろうとしているかたのお話をたくさん聞いているのですが、ほとんどのかたが、グループホームを「住まい」とは考えておらず「通過点」「しょせん施設」ととらえていると知り、少しショックを受けています。行政が奨励しはじめた大規模なものは論外にしても、ごく小規模なところにおいても、です。これは、わが家も(もう機会が少なくなりましたが)ともに車いすユーザーの娘と息子、私、連れ合いの四人家族で出かけると「どこの施設ですか?」と聞く人が少なからずいたし、家庭を「運営」する身としても、あれ、今なにやら施設っぽいなとゾッとする瞬間もあり、ピンとくるところがあります。同じ障害がある人が二人以上集められたらそれは施設になってしまう、と。わたしが作りたいのは「住まい」です。何に気をつければ「住まい」になりうるでしょう。ご意見をお聞かせていただきたいです。
○小山内さんたちが行政(北海道すべてではなく札幌市ですよね?)に働きかけて、公営住宅の平屋部分すべてをハーフメイド方式にする約束を約束をとりつけたこと、素晴らしいアイデアです!先日、函館のバリアフリーマンション(グルームホームでは断じてありません!だれでも入居できます、と理事がきっぱり言っていました)を見学したのですが、視聴覚障害のかたも不自由なくひとり暮らしできるように、全室にアラーム灯やナースコール(実際はナースではなく介助コールで、例えばものを落としちゃったんだけど、とか痒いのでかいて、とかそういう用事で呼べるもの)がついていました。この部分がまさしくハーフメイドで取り付け口までになっていて、あとは各部屋の入居者がどんなひとで何が必要かわかってからつけるということでした。まったく思いつかなかったけどとても賢いアイデアです。ユニバーサルデザインとはこういう視点が重要だと気づかされました。こういう役立ちそうなアイデアやヒントがあったらぜひ教えてください。
○シェアハウスという暮らしかたが、ひとつの選択肢として一般に普及してきました。血縁と家計に過度な義務と権利を与え依存するこの国の「当たり前」にどうしても嫌悪感を持ち、心底異議を唱えているわたしにとってはとても希望のある「住まい」のかたちです。シェアハウスの中に「グループホーム(の機能を持つ)部分」を設けることも、いまのところ問題ないようです。いま、このかたちの魅力に心が傾いているのですが、気をつけるべきことはあるでしょうか。
○障害のある人や高齢のかたの「住まい、暮らし」について、一般に「受け皿」という言葉が使われますが、ずっと「住まい、暮らし」について取り組まれてきて、いまその言葉についてどんな印象やお考えをもたれていますか。わたしは、同じ屋根の下に暮らし同じ親に育てられながらまったく違った環境で子ども時代を過ごした娘・晴子と息子・時生を見てきて、ボンヤリとですが、一般のすべての社会資源自体が変容するべき(インテグレーション=統合、ではなくインクルージョン=万人用に生まれ変わる)なんだ、と考えはじめています。この考えについてどんな印象をもたれますか。また、アドバイスもいただきたいです。
○木村浩子さんのことを恥ずかしいことにご本を読み返して知りました(スウェーデン日記と夜明けのコーヒーはまだ娘・晴子が幼いころ読んだのですが、その時は子育てにも障害ということにもまったく免疫がなく驚きの連続の日々で、また障害種別・人間種別でモノを考えていたので、すごいっと驚嘆しながら「頭のハッキリした(→自分もふくめ周りの親連中が子どもたちの前で平気で使っていた言葉です。ふりかえると本当におぞましいです)」人たちのこと。あまり自分の子どもとは関係ない、とすぐに興味がほかに移ってしまったんだと思います)。ぜひ会ってお話をうかがいたい、と思っています。お口添えいただくことはできますでしょうか。
以上です。
お会いするのが楽しみでなりません。娘・晴子も自立生活室に泊まることを楽しみにしている様子です。
お騒がせして申し訳ありませんが、どうかよろしくお願いいたします。
2014年7月20日日曜日
「18歳」と行く
札幌に行くと決めてから、猛烈に小山内さんに会ってお話が聞きたくなった。
もうずっと前に読んだ小山内さんの「足指で綴るスウェーデン日記」を図書館で借りてきて読み直してからは、絶対に娘と一緒に会いに行こうと決めた。
小山内さんが、盟友・澤口京子さんと共に、親たちがやっていたコロニー建設運動に疑問を覚え異議を唱えたのは、娘と同じ歳・18歳だった。わたし自身は18歳のころまだ親のスネを120%かじり世話をやかれながら「大嫌い、大嫌い」「家を出たい、家を出たい」と毎日呪文のように唱えてもだえていた。暮れに18歳になる娘は、数年前から毎晩のように泣き吠え叫び、狂ったように暴れるのに参っているが、当時の自分を思い出せば、そんなに奇異なこととも思えない。……というかソックリ同じなのかも。
娘は私抜きで前に進み出て、直接たくさんのひとや出来ごとと出会うことをとっくに欲しているのだ。障壁が多いからといってあっさりあきらめるのは(障害特性のせいだからとあきらめさせては)ナシだ。
安積さんに連絡してそのことを話すと、小山内さんたちが10年ほど前に作ったグループホーム「アンビシャス」に自立体験ルームがあるから、そこに泊まればいいよ、と教えてくれる。早速連絡して予約し、同時に小山内さんの連絡先をうかがい、インタビューを申し込む。私が「高校へ行こう全国集会」に出ている間は、娘を札幌見物に連れて行ってあげるよ、とも言ってくれる。
何かまたたくさんの出会いがありそう。ゾクゾクしてきた!
もうずっと前に読んだ小山内さんの「足指で綴るスウェーデン日記」を図書館で借りてきて読み直してからは、絶対に娘と一緒に会いに行こうと決めた。
小山内さんが、盟友・澤口京子さんと共に、親たちがやっていたコロニー建設運動に疑問を覚え異議を唱えたのは、娘と同じ歳・18歳だった。わたし自身は18歳のころまだ親のスネを120%かじり世話をやかれながら「大嫌い、大嫌い」「家を出たい、家を出たい」と毎日呪文のように唱えてもだえていた。暮れに18歳になる娘は、数年前から毎晩のように泣き吠え叫び、狂ったように暴れるのに参っているが、当時の自分を思い出せば、そんなに奇異なこととも思えない。……というかソックリ同じなのかも。
娘は私抜きで前に進み出て、直接たくさんのひとや出来ごとと出会うことをとっくに欲しているのだ。障壁が多いからといってあっさりあきらめるのは(障害特性のせいだからとあきらめさせては)ナシだ。
安積さんに連絡してそのことを話すと、小山内さんたちが10年ほど前に作ったグループホーム「アンビシャス」に自立体験ルームがあるから、そこに泊まればいいよ、と教えてくれる。早速連絡して予約し、同時に小山内さんの連絡先をうかがい、インタビューを申し込む。私が「高校へ行こう全国集会」に出ている間は、娘を札幌見物に連れて行ってあげるよ、とも言ってくれる。
何かまたたくさんの出会いがありそう。ゾクゾクしてきた!
2014年6月30日月曜日
そうだ札幌に行こう
函館から帰ってくると「未就学を考える会」の北村小夜さんから、9月に札幌で「障害児の高校進学を実現する全国交流集会 in 北海道」が開催されるという案内が届いていた。
北村さんのもとを初めて訪ねたのは、娘が特別支援学校中等部2年の進路指導を受けたころだから、大地震・津波・原発事故前の秋だったと思う。
1歳からの療育センター通いからはじまり肢体不自由児・重複障害児用心障学級(現・特別支援学級)、肢体不自由児特別支援学校中等部と、障害のある子専用の定番コースをきて、「もうええわ」とばかり義務教育で学校を終えることを決めた娘の、翌年からの生活を考えあれこれ「居場所」をさがしまわり、相談してまわっていた頃だった。
あらゆるところに見学や相談に行った。フリースペース、進学を目的とせず生活力アップを目標に掲げる私塾、公文式など生涯教育の場、夜間中学校、……。
そんな中「普通の高校(定時制高校など)に進学する」という選択肢について相談に乗ってくださったのが北村さんだった。
結局、娘がどうしたいのか意志を汲み取ることができないし(中等部進学の段で既に)娘が「シャバの学校で一斉授業を受けている姿」を私も連れ合いもどうしても想像できなくて、娘は「フリースペースに週2〜3日気が向いたら通う」という生まれて初めての気ままなプータロー生活を(一応時限を切って3年間)送ることに決めたのだが、5歳下の息子(同じ障害があるのに成り行きで、こちらは打って変わって保育園からずっとシャバコース)のことも気にかけて下さり、以来、色々な案内を送って下さっていた。
そうだ、札幌に行こう。
札幌と言えば、全国でも類を見ない介助制度、パーソナルアシスタント/ダイレクトペイメントを実現して来た先進都市だし、人工呼吸器を利用しながら、さっぽろ自立生活センターやベンチレータ使用者ネットワークを通して、全国の同じ状況の人を励ましてきた佐藤きみよさんや「夜バナ」の主人公、故・鹿野靖明さん、東京や大阪の障害のあるひとの自立生活運動と呼応して10代にして札幌いちご会を結成し、介助や住まいについて、実践を通してとことん追求してこられた小山内美智子さんなど、私にとってのヒーローがたくさんいる聖地である。
従姉妹も、場所に最初に案内してくれたお連れ合いも、伯母も札幌にいる。
安積さんも。
息子も高校に行きたいと言うかも知れない。
北村さんのもとを初めて訪ねたのは、娘が特別支援学校中等部2年の進路指導を受けたころだから、大地震・津波・原発事故前の秋だったと思う。
1歳からの療育センター通いからはじまり肢体不自由児・重複障害児用心障学級(現・特別支援学級)、肢体不自由児特別支援学校中等部と、障害のある子専用の定番コースをきて、「もうええわ」とばかり義務教育で学校を終えることを決めた娘の、翌年からの生活を考えあれこれ「居場所」をさがしまわり、相談してまわっていた頃だった。
あらゆるところに見学や相談に行った。フリースペース、進学を目的とせず生活力アップを目標に掲げる私塾、公文式など生涯教育の場、夜間中学校、……。
そんな中「普通の高校(定時制高校など)に進学する」という選択肢について相談に乗ってくださったのが北村さんだった。
結局、娘がどうしたいのか意志を汲み取ることができないし(中等部進学の段で既に)娘が「シャバの学校で一斉授業を受けている姿」を私も連れ合いもどうしても想像できなくて、娘は「フリースペースに週2〜3日気が向いたら通う」という生まれて初めての気ままなプータロー生活を(一応時限を切って3年間)送ることに決めたのだが、5歳下の息子(同じ障害があるのに成り行きで、こちらは打って変わって保育園からずっとシャバコース)のことも気にかけて下さり、以来、色々な案内を送って下さっていた。
そうだ、札幌に行こう。
札幌と言えば、全国でも類を見ない介助制度、パーソナルアシスタント/ダイレクトペイメントを実現して来た先進都市だし、人工呼吸器を利用しながら、さっぽろ自立生活センターやベンチレータ使用者ネットワークを通して、全国の同じ状況の人を励ましてきた佐藤きみよさんや「夜バナ」の主人公、故・鹿野靖明さん、東京や大阪の障害のあるひとの自立生活運動と呼応して10代にして札幌いちご会を結成し、介助や住まいについて、実践を通してとことん追求してこられた小山内美智子さんなど、私にとってのヒーローがたくさんいる聖地である。
従姉妹も、場所に最初に案内してくれたお連れ合いも、伯母も札幌にいる。
安積さんも。
息子も高校に行きたいと言うかも知れない。
2014年6月19日木曜日
のれんがかかった部屋の中
無事に、函館せいかつコミュニティの坪内さんと会えた。函館の早朝と言えば、駅前の朝市……と、イカの美味しいお店に案内してくださる。
私と同い歳の障害がある娘さんがいるにしてはお若いので訊ねると、まだ70代前半「もとヤンパパ」だったとおっしゃる。キリスト教信徒で結婚しないと床をともにできないという規則があり、お連れ合いと一刻も早く一緒になりたくて若く結婚したんです、と笑いながら説明してくださった。
娘さんのことーー当時は学齢期の障害のある子どもに当然の様に措置されていた就学免除(学校に行かなくていいという通知)に憤り、抗う親たちの活動をしていらした頃のことや、建築のお仕事にもついていたことがありD.I.Y.で自宅を設計されたこと、フランスの(これも私が生まれた歳に発足したらしい)ラルシュというキリスト教会が主体となった障害のある人の共同体を見学に行って感銘を受けたこと、静岡にも「かなの家」というラルシュがあることなど、たくさんの素敵なお話をうかがった。
さっそく場所に行ってみよう、ということになり坪内さんの車に乗せてもらって現地へ。バスではなく乗用車だと30分くらいで着く距離だった。
玄関のドアノブにはロープがグルグル巻き付けてあるだけで錠は外れていたのだけど、少し押したがビクともしなくて中に入るのをあきらめていたのだが、坪内さんはドアに近づいてロープをほどくと、まったくためらいない感じでドアをバンッと蹴っていとも簡単に開けてしまった。
中は……想像以上に荒れ果てていた。台所など水回りはもうドロドロ。畳の部屋は比較的状態はいいのだけど。そのまま残されたカーテンや暖簾、壁にかかったままの画など人が暮らして来た証が、ますます痛々しさを強調して。
一番奥の部屋に、この家の主ーー又蔵さんとお連れ合いの遺影と仏具が残されていたのには打ちのめされてしまった。おそらく家を出るときご長男が置いて行かれたのだろう。遺影を立てかけ飾りなおした。
ご長男には何としても会わなくちゃ。そして何としても、法的な正当性がどうこうとか財産がどうとか抜きに、心から謝らなくちゃ。
坪内さんは、まったく動揺する様子もなく「使えそうだ」といいながら床や柱の寸法を測っている。リフォームできる段階なのだろうか、とちょっと希望が湧く。
「簡単な図面を起こします」とおっしゃってくださった。あちらからもこちらからもはっきりとお返事や具体的な提案がないままで、とにかく再会を約束し別れた。
待ち合わせ時刻に大幅に遅れて函館の北方民族資料館前到着、安積さんたちとでかろうじて合流しケータイを返却。飲み喰いするうちに、空港へのバスに乗る時刻になった。またすぐ会えそうな気がする。
私と同い歳の障害がある娘さんがいるにしてはお若いので訊ねると、まだ70代前半「もとヤンパパ」だったとおっしゃる。キリスト教信徒で結婚しないと床をともにできないという規則があり、お連れ合いと一刻も早く一緒になりたくて若く結婚したんです、と笑いながら説明してくださった。
娘さんのことーー当時は学齢期の障害のある子どもに当然の様に措置されていた就学免除(学校に行かなくていいという通知)に憤り、抗う親たちの活動をしていらした頃のことや、建築のお仕事にもついていたことがありD.I.Y.で自宅を設計されたこと、フランスの(これも私が生まれた歳に発足したらしい)ラルシュというキリスト教会が主体となった障害のある人の共同体を見学に行って感銘を受けたこと、静岡にも「かなの家」というラルシュがあることなど、たくさんの素敵なお話をうかがった。
さっそく場所に行ってみよう、ということになり坪内さんの車に乗せてもらって現地へ。バスではなく乗用車だと30分くらいで着く距離だった。
玄関のドアノブにはロープがグルグル巻き付けてあるだけで錠は外れていたのだけど、少し押したがビクともしなくて中に入るのをあきらめていたのだが、坪内さんはドアに近づいてロープをほどくと、まったくためらいない感じでドアをバンッと蹴っていとも簡単に開けてしまった。
中は……想像以上に荒れ果てていた。台所など水回りはもうドロドロ。畳の部屋は比較的状態はいいのだけど。そのまま残されたカーテンや暖簾、壁にかかったままの画など人が暮らして来た証が、ますます痛々しさを強調して。
一番奥の部屋に、この家の主ーー又蔵さんとお連れ合いの遺影と仏具が残されていたのには打ちのめされてしまった。おそらく家を出るときご長男が置いて行かれたのだろう。遺影を立てかけ飾りなおした。
ご長男には何としても会わなくちゃ。そして何としても、法的な正当性がどうこうとか財産がどうとか抜きに、心から謝らなくちゃ。
坪内さんは、まったく動揺する様子もなく「使えそうだ」といいながら床や柱の寸法を測っている。リフォームできる段階なのだろうか、とちょっと希望が湧く。
「簡単な図面を起こします」とおっしゃってくださった。あちらからもこちらからもはっきりとお返事や具体的な提案がないままで、とにかく再会を約束し別れた。
待ち合わせ時刻に大幅に遅れて函館の北方民族資料館前到着、安積さんたちとでかろうじて合流しケータイを返却。飲み喰いするうちに、空港へのバスに乗る時刻になった。またすぐ会えそうな気がする。
三千恵さんと出会う
昨日、函館駅前のバス案内所(ここは本当に頼りになる)で「ユニバーサルホーム日吉」の最寄りのバス停に行く路線・乗り場と待ち合わせ時刻に間に合う便は確認しておいた。
ここから、安積さんが合流することになっていたんだけど、出発の時刻になっても、道路が混んでいてまだかかりそう、という連絡。もう先に行くしかないな、と乗ろうとしたその時、向かい側に停まった高速バスから安積さんと介助の男性が降りて来た。他にお客もいなかったので、迷惑そうな運転手さんを何とか引き留めることができた。
一時帰国していた一年ほど前に東京で会って以来だと思う。まったく相変わらす元気そうで、介助の李さんに挨拶し、札幌に住むようになってからの出会いの話など近況を聞くうち到着。
電話で到着を告げ要領を得ない私を心配してバス停まで車で迎えに来てくれた鈴木さんに、車中で「グループホームは障害種別、そうでなくても障害者用、となっていますよね。誰でも、どんな方でも、というグループホームを初めて知って……」と言うと「ここはグループホームではないですよ」とキッパリ。驚き。普通の民間アパートを高い志と周到なコンセプトを持って建てたにすぎないと言う。
去年の暮れオープンしたばかりで、外観はきれいなマンションという感じ。入ってすぐの食堂は、近隣の人もアパートの住人も利用出来るよう食券制になっているとのこと。カウンター越しに厨房もある(区役所など公共施設の食堂みたいな感じ)。
ガイドヘルパーと手話通訳者がひとりずつ常駐。居室は、単身用から核家族用くらいのさまざまな大きさのものが37戸、家賃は管理費・共益費込みで5万円弱〜10万円弱くらいで設定。聴覚・視覚障害のかたを想定して作られているため優先はあるが、基本的に誰でも住んでよい場所という。
ベッドにはナースコール、壁には非常灯もついている。これらは各部屋設置前の状態にしてあり、入居者が決まってからその人の求めに応じて設置する。札幌いちご会で介助と住まいということを追求して来られた小山内美智子さんが公営住宅建設について提唱していた「ハーフメイド方式」と同じ考え方、とても合理的だ。
見学が済んで、食堂で鈴木さんとお話をする。私はここの設備やら、助成なしでどうしやって完成にこぎ着けたか、しばらく運営して問題は……などなど、たくさん質問があった。まずは同席されていたアパートの住人で聴覚障害のある若者に話を聴きたい、と鈴木さんの見るからに流暢な手話通訳に頼り切ってどんどん質問するうち、鈴木さんがとても疲れた様子で「少し休ませて」と。誠実で上質な通訳という仕事がどれほど全神経と全身体をこき使うことか、介助という経験から想像が働くはずの私なのに、また調子に乗ってやってしまった……。どうしよう、お詫びのことばが見つからない。
と、安積さんと鈴木さんの目があうと、鈴木さん自身が幼少期に実の親から受けた虐待の経験のこと、娘さん(娘と同年代)のこと、ある日ふとした思いから始めたミュージック・サイン(歌につける手話の表現)のこと……などを語って下さった。
さっき初めてお目にかかったときから、クールで落ち着いた物腰に魅せられてしまっていたのだけれど、お話を聴くうち、この鈴木三千恵さんがどんどん好きになってしまって、これからの旅の船頭さんになってくれそうな予感さえして、また調子に乗っておかしなことを言わないように自分を制するのに必死だった。
でも、聞いてしまった。
「どなたか、会うべきかたがいたら教えてください」
すると「横川由紀さん」と即答。横浜出身で、人工呼吸器を利用しながら函館で自立生活し、自立生活センターも企画しているかたという。
そして別れ際、思わずハグしてしまった。
三千恵さんはスッとハグを返してくれ、ホッとした。
その後は、安積さんのペース。函館のビジホに泊まるつもり、という私を「何言ってんの」と制止し、知り合いの大学生が暮らすマンションに押し掛け、雑魚寝する展開に。もっとも、ケータイの充電が切れ、充電器を持ってくるのを忘れた私は真っ青、電気屋さんももう閉まっていたため、明日の再会を約束して、安積さんがケータイを貸してくれたのでとても助かったのだけど。
強引なペースに引っ張られるのはすごく苦手だけど、今日はそれに助けられた。お礼を言わなくちゃ。
ここから、安積さんが合流することになっていたんだけど、出発の時刻になっても、道路が混んでいてまだかかりそう、という連絡。もう先に行くしかないな、と乗ろうとしたその時、向かい側に停まった高速バスから安積さんと介助の男性が降りて来た。他にお客もいなかったので、迷惑そうな運転手さんを何とか引き留めることができた。
一時帰国していた一年ほど前に東京で会って以来だと思う。まったく相変わらす元気そうで、介助の李さんに挨拶し、札幌に住むようになってからの出会いの話など近況を聞くうち到着。
電話で到着を告げ要領を得ない私を心配してバス停まで車で迎えに来てくれた鈴木さんに、車中で「グループホームは障害種別、そうでなくても障害者用、となっていますよね。誰でも、どんな方でも、というグループホームを初めて知って……」と言うと「ここはグループホームではないですよ」とキッパリ。驚き。普通の民間アパートを高い志と周到なコンセプトを持って建てたにすぎないと言う。
去年の暮れオープンしたばかりで、外観はきれいなマンションという感じ。入ってすぐの食堂は、近隣の人もアパートの住人も利用出来るよう食券制になっているとのこと。カウンター越しに厨房もある(区役所など公共施設の食堂みたいな感じ)。
ガイドヘルパーと手話通訳者がひとりずつ常駐。居室は、単身用から核家族用くらいのさまざまな大きさのものが37戸、家賃は管理費・共益費込みで5万円弱〜10万円弱くらいで設定。聴覚・視覚障害のかたを想定して作られているため優先はあるが、基本的に誰でも住んでよい場所という。
ベッドにはナースコール、壁には非常灯もついている。これらは各部屋設置前の状態にしてあり、入居者が決まってからその人の求めに応じて設置する。札幌いちご会で介助と住まいということを追求して来られた小山内美智子さんが公営住宅建設について提唱していた「ハーフメイド方式」と同じ考え方、とても合理的だ。
見学が済んで、食堂で鈴木さんとお話をする。私はここの設備やら、助成なしでどうしやって完成にこぎ着けたか、しばらく運営して問題は……などなど、たくさん質問があった。まずは同席されていたアパートの住人で聴覚障害のある若者に話を聴きたい、と鈴木さんの見るからに流暢な手話通訳に頼り切ってどんどん質問するうち、鈴木さんがとても疲れた様子で「少し休ませて」と。誠実で上質な通訳という仕事がどれほど全神経と全身体をこき使うことか、介助という経験から想像が働くはずの私なのに、また調子に乗ってやってしまった……。どうしよう、お詫びのことばが見つからない。
と、安積さんと鈴木さんの目があうと、鈴木さん自身が幼少期に実の親から受けた虐待の経験のこと、娘さん(娘と同年代)のこと、ある日ふとした思いから始めたミュージック・サイン(歌につける手話の表現)のこと……などを語って下さった。
さっき初めてお目にかかったときから、クールで落ち着いた物腰に魅せられてしまっていたのだけれど、お話を聴くうち、この鈴木三千恵さんがどんどん好きになってしまって、これからの旅の船頭さんになってくれそうな予感さえして、また調子に乗っておかしなことを言わないように自分を制するのに必死だった。
でも、聞いてしまった。
「どなたか、会うべきかたがいたら教えてください」
すると「横川由紀さん」と即答。横浜出身で、人工呼吸器を利用しながら函館で自立生活し、自立生活センターも企画しているかたという。
そして別れ際、思わずハグしてしまった。
三千恵さんはスッとハグを返してくれ、ホッとした。
その後は、安積さんのペース。函館のビジホに泊まるつもり、という私を「何言ってんの」と制止し、知り合いの大学生が暮らすマンションに押し掛け、雑魚寝する展開に。もっとも、ケータイの充電が切れ、充電器を持ってくるのを忘れた私は真っ青、電気屋さんももう閉まっていたため、明日の再会を約束して、安積さんがケータイを貸してくれたのでとても助かったのだけど。
強引なペースに引っ張られるのはすごく苦手だけど、今日はそれに助けられた。お礼を言わなくちゃ。
2014年6月18日水曜日
八郎沼公園
宿のご主人の「何でここに来たのかい」という問いから始まって、朝ご飯をいただきながら、あれこれおしゃべりするうちに、曾祖父・長八郎さんの話になる。
「四番目の子どもであった祖父が、おそらくは、お妾さんか恋人だった女性なのでしょうか、そのあたり、母の話はあいまいなのですが……のところに養子に出されたり、そこでいびられて、祖母と駆け落ち同然で結婚したり、と色々フクザツなことがあったようなのですが、わたしは、八郎沼公園の八郎さんのひ孫にあたるそうです」
「ああ、じゃあ郷土資料館に行けば、ひいおじいさんのことが詳しく分かるから行ってご覧。すぐそこ、大野小学校の横に建ってる古い建物だから」
お別れしたその足で訪ねてみると、向野(旧・大野)ゆかりの人物紹介のコーナーに長八郎さんの顔を発見。
開拓使を退職後この辺りで酪農を始めた愛媛出身の山田致人という人が、牛に水を飲ませるため池を堀り、後に水田用水としても利用した。そこの所有が郵便事業はじめ様々な起業をして活躍していたひいひいじいさんの中村長兵衛さんに移ると、管理を任されたのがひいじいさんの長八郎。大正時代に長八郎さんがこの池(沼)を養鯉場にして鯉料理で儲けようとしたのだけど、志半ばで、昭和6年(老母が生まれる前年)に亡くなり、それから、名前にちなんで「八郎沼」と呼ばれるようになった。昭和50年ころから整備されて、今は「八郎沼公園」として市民憩いの場になっている。長八郎さんは造り酒屋もやっていて地酒の名前は「大野川」。これも長八郎さんの死後途絶えて今はない、……というお話。ほうほうほう。
そのあと、函館に仕事で5年いたという古い友人がFacebookで教えてくれたアイスクリーム屋さんに行って見たが、時刻が早すぎてまだ開店前。しょんぼりしてしばらく歩いていると、渡りに船、という感じで金物屋さんが現れた。すっかり忘れていたけれど、草刈りにトライしようという元気がわき上がり、軍手と自治体指定のゴミ袋(品目ごとに色別になっていて分かりやすい)、そして鎌を購入。
場所に向かう道すがら、思いつき、種苗園で除草剤も購入。
しかし……刈れども刈れども先が見えない。しゃがんだ自分に立ちはだかる草が海に見えて来た。しけの大海原に浮かぶボートから水をかき出している気分。開始15分でさじを投げ、せめてお隣や公道を越えて迷惑がかからないように、と辺に沿って除草剤を蒔きはじめるも、それも2辺で一箱使い切り途中でリタイア。
「ずっと、いつも、すみません。所有者の娘です。早く何とか役立てていただける場所にしようと思っていますので、よろしくお願いします」とお隣さんにご挨拶出来たのだけが幸いだった。
「四番目の子どもであった祖父が、おそらくは、お妾さんか恋人だった女性なのでしょうか、そのあたり、母の話はあいまいなのですが……のところに養子に出されたり、そこでいびられて、祖母と駆け落ち同然で結婚したり、と色々フクザツなことがあったようなのですが、わたしは、八郎沼公園の八郎さんのひ孫にあたるそうです」
「ああ、じゃあ郷土資料館に行けば、ひいおじいさんのことが詳しく分かるから行ってご覧。すぐそこ、大野小学校の横に建ってる古い建物だから」
お別れしたその足で訪ねてみると、向野(旧・大野)ゆかりの人物紹介のコーナーに長八郎さんの顔を発見。
開拓使を退職後この辺りで酪農を始めた愛媛出身の山田致人という人が、牛に水を飲ませるため池を堀り、後に水田用水としても利用した。そこの所有が郵便事業はじめ様々な起業をして活躍していたひいひいじいさんの中村長兵衛さんに移ると、管理を任されたのがひいじいさんの長八郎。大正時代に長八郎さんがこの池(沼)を養鯉場にして鯉料理で儲けようとしたのだけど、志半ばで、昭和6年(老母が生まれる前年)に亡くなり、それから、名前にちなんで「八郎沼」と呼ばれるようになった。昭和50年ころから整備されて、今は「八郎沼公園」として市民憩いの場になっている。長八郎さんは造り酒屋もやっていて地酒の名前は「大野川」。これも長八郎さんの死後途絶えて今はない、……というお話。ほうほうほう。
そのあと、函館に仕事で5年いたという古い友人がFacebookで教えてくれたアイスクリーム屋さんに行って見たが、時刻が早すぎてまだ開店前。しょんぼりしてしばらく歩いていると、渡りに船、という感じで金物屋さんが現れた。すっかり忘れていたけれど、草刈りにトライしようという元気がわき上がり、軍手と自治体指定のゴミ袋(品目ごとに色別になっていて分かりやすい)、そして鎌を購入。
場所に向かう道すがら、思いつき、種苗園で除草剤も購入。
しかし……刈れども刈れども先が見えない。しゃがんだ自分に立ちはだかる草が海に見えて来た。しけの大海原に浮かぶボートから水をかき出している気分。開始15分でさじを投げ、せめてお隣や公道を越えて迷惑がかからないように、と辺に沿って除草剤を蒔きはじめるも、それも2辺で一箱使い切り途中でリタイア。
「ずっと、いつも、すみません。所有者の娘です。早く何とか役立てていただける場所にしようと思っていますので、よろしくお願いします」とお隣さんにご挨拶出来たのだけが幸いだった。
2014年6月17日火曜日
ふたたび草ぼうぼう!
函館空港から路線バスで函館駅へ、そこから1番乗り場から路線バスで北斗市総合分庁舎前バス停へ。バス停の目の前にあるスーパーで墓参セット(ロウソクとお線香一回分)という便利なものを発見、供花とともに求め、法亀寺でお墓参りを済ませると、いそいそと場所に向かった。
げっウソでしょ!
半年前、森林組合に依頼して草・雑木刈りをしてもらった後の報告写真では、すっかりキレイさっぱり土面になっていた場所が、すっかり元通りに草ぼうぼうになっている!草木の生命力、おそるべし……。でもでもしかし、前回より雑木は少ないようだから、草刈りできるかも。気を取り直して、明朝、どこかで鎌を仕入れて挑戦してみようと思う。
夕方、場所から徒歩15分ほどの向野の宿に到着すると突然ケータイが鳴る。
げげっ息子の担任の先生からだ!
弱視で(おそらくは)読字障害がある息子はテストの文字を拡大する、介助者が問題を読み上げる必要があるため別室でテストを受けること、とか、手指が不自由で単独で書字ができないため、介助者が手を添えて書く、とか、調整(合理的配慮)が必要。初めての一斉テストということで「どうしよう」と相談があり「まあじゃあこんな感じでどうでしょう」と提案したのだった。
電話で、やっぱり介助者が手を添えるという部分、やはり正直なところ「本当なのか」という目で捉えてしまうこと、そのため、通知表の評価は「参考点」としたいという見解になったとのことで、謝っておられた。別学体制で障害のある子抜きの環境で教鞭をとって来られた中で、疑いが生じるは当然だし、通知表の評価についてはわたしも連れ合いも自分が当人のころからまったく意味を感じていないし気にしないタイプなので、どうか気に病まないでください、とお伝えしお礼を言って切った。
騒動があったわけじゃなくてホッとしたが、色々な理由で一斉テストに不向きで(アガリ症だとかそういうことも含めて)、そのせいで学習の機会を奪われてしまう子が少なからずいるんだよなあ、もったいないなあ、テストをなくすことで得ることは多いんだよなあ、とあらためて思う。
前回来たときに気になっていた「せせらぎ温泉」の看板。5分ほど歩いたところだ。訪ねてみると、大きな休憩スペースに室内用車いすが数台用意されていて多目的トイレもある。脱衣所が平日夜だけど近所の人たちで賑わっている。しかもヌルリと透明で超いい湯。
ラーメン屋さんで味噌をすすってから宿に帰ってバタンキューだった。
げっウソでしょ!
半年前、森林組合に依頼して草・雑木刈りをしてもらった後の報告写真では、すっかりキレイさっぱり土面になっていた場所が、すっかり元通りに草ぼうぼうになっている!草木の生命力、おそるべし……。でもでもしかし、前回より雑木は少ないようだから、草刈りできるかも。気を取り直して、明朝、どこかで鎌を仕入れて挑戦してみようと思う。
夕方、場所から徒歩15分ほどの向野の宿に到着すると突然ケータイが鳴る。
げげっ息子の担任の先生からだ!
弱視で(おそらくは)読字障害がある息子はテストの文字を拡大する、介助者が問題を読み上げる必要があるため別室でテストを受けること、とか、手指が不自由で単独で書字ができないため、介助者が手を添えて書く、とか、調整(合理的配慮)が必要。初めての一斉テストということで「どうしよう」と相談があり「まあじゃあこんな感じでどうでしょう」と提案したのだった。
電話で、やっぱり介助者が手を添えるという部分、やはり正直なところ「本当なのか」という目で捉えてしまうこと、そのため、通知表の評価は「参考点」としたいという見解になったとのことで、謝っておられた。別学体制で障害のある子抜きの環境で教鞭をとって来られた中で、疑いが生じるは当然だし、通知表の評価についてはわたしも連れ合いも自分が当人のころからまったく意味を感じていないし気にしないタイプなので、どうか気に病まないでください、とお伝えしお礼を言って切った。
騒動があったわけじゃなくてホッとしたが、色々な理由で一斉テストに不向きで(アガリ症だとかそういうことも含めて)、そのせいで学習の機会を奪われてしまう子が少なからずいるんだよなあ、もったいないなあ、テストをなくすことで得ることは多いんだよなあ、とあらためて思う。
前回来たときに気になっていた「せせらぎ温泉」の看板。5分ほど歩いたところだ。訪ねてみると、大きな休憩スペースに室内用車いすが数台用意されていて多目的トイレもある。脱衣所が平日夜だけど近所の人たちで賑わっている。しかもヌルリと透明で超いい湯。
ラーメン屋さんで味噌をすすってから宿に帰ってバタンキューだった。
2014年6月15日日曜日
送った手紙
はじめてご連絡申し上げます。わたしは東京都目黒区在住の柴田靖子と申します。
貴団体のご活動は、ホームページを拝見して知りました。
実はいま、北斗市にある老母の土地に障害のある人のためのグループホームをつく
れないものかと考えはじめており、たくさんのかたがたの助言をいただきたくご縁を
求めているところです。
老母が祖父から相続した土地が北斗市にあるのですが、数年前、長年借りて住まっ
て下さっていた方が亡くなってからは、借り手も買い手もつかず放置されています。
半年ほど前仕事でそちらに出向いた際、様子を見に寄ると、雑草どころか雑木が生い
茂り古家のドアにたどり着けないほど荒れ果てようで、そのみじめな様に涙がでまし
た。すぐに森林組合にお願いして草木を取ってもらいました。
さて、わたしは二人の障害のある子に恵まれました。二人のおかげでたくさんの幸
運な出会いに恵まれ、それまで知り得なかった障害のある方々と知り合い、学び感じ
る機会を得ています。その中で、路上生活をしているかたがたの多くが障害のあるひ
とだということを知りました。住む人がなくなり持ち主に持て余され打ち捨てられた
土地がある一方で、障害ゆえ排除され、ひとところに住むことがかなわず不安の中で
生きているひとたちがいる理不尽を傍観している自分に腹が立って仕方なくなったの
です。
そこで、路上生活をしている障害のあるかたが障害認定を受けられれば、障害者の
ためのサービスであるグループホームへの居住や生活介護が叶います。そうして生活
の基盤が安定すれば、先が開けるのではないかと考えました。突飛なアイデアかと
思ったのですが、すでにそのような事業を行っているかたが、お隣の神奈川県横浜市
でいらして先日お話をうかがってきました。とにかくその土地の事情にみあった活動
であるべきなので、そこに行ってすでにさまざまな活動をしているかたがたのお知恵
やお力を借りるべきであると教えていただきました。
つきましては、一度見学にうかがい、お話をうかがうことはできませんでしょう
か。来週18日夕~19日昼過ぎまでそちらに滞在する予定でおります。もしご都合のつ
くお時間があればぜひよろしくお願いいたします。
また勝手なお願いを重ねて恐縮ですが、お会いすべきかたのお心当たりがいらっ
しゃいましたら教えていただければ幸いです。
以上よろしくお願いいたします。
お返事をお待ちしております。
2014年6月14日土曜日
誰でも住まえる集合住宅
もうひとつ、ご縁がありそう。
「ユニバーサルホーム日吉の家をつくる会」という団体が、どんな人でも住める集合住宅をオープンした、という記事をインターネットで見つけ、函館せいかつコミュニティ代表の坪内さんにあてた手紙とほぼ同じ内容の手紙をもう一件、メールで送ると、ご担当のかたが、とてもお心のこもったお返事メールをくださった。
18日の夕方から見学できます、と快諾してくださり、また、集合住宅の中には、住人の方が利用出来る食堂もあり、そこで夕食もいただくことに。なんて素敵な展開!
さて、大地震・津波と原発事故のあとオーストラリアに住んでいた友人の安積さんとは、ここ数年、Skypeの無料通話を使って、ずっとまとめようとしているテキスト(「インクルージョンが止まらない(仮)」)のことなど相談に乗ってもらったり、おしゃべりしたりしていた。
半年ほど前、もうすぐ帰国するつもりだが、東京ではなく札幌に住もうと思っている、と訊いて「実はわたしも北海道でワルダクミをしようとしているんだよ。函館のほうだけど……」と打ち明けると、興味津々。さっそくいよいよ始まりそうだと報告すると「札幌から高速バスで行く行く!」と。
久しぶりの再会も楽しみだ。
「ユニバーサルホーム日吉の家をつくる会」という団体が、どんな人でも住める集合住宅をオープンした、という記事をインターネットで見つけ、函館せいかつコミュニティ代表の坪内さんにあてた手紙とほぼ同じ内容の手紙をもう一件、メールで送ると、ご担当のかたが、とてもお心のこもったお返事メールをくださった。
18日の夕方から見学できます、と快諾してくださり、また、集合住宅の中には、住人の方が利用出来る食堂もあり、そこで夕食もいただくことに。なんて素敵な展開!
さて、大地震・津波と原発事故のあとオーストラリアに住んでいた友人の安積さんとは、ここ数年、Skypeの無料通話を使って、ずっとまとめようとしているテキスト(「インクルージョンが止まらない(仮)」)のことなど相談に乗ってもらったり、おしゃべりしたりしていた。
半年ほど前、もうすぐ帰国するつもりだが、東京ではなく札幌に住もうと思っている、と訊いて「実はわたしも北海道でワルダクミをしようとしているんだよ。函館のほうだけど……」と打ち明けると、興味津々。さっそくいよいよ始まりそうだと報告すると「札幌から高速バスで行く行く!」と。
久しぶりの再会も楽しみだ。
2014年6月13日金曜日
路上生活の若者のためのシェアハウス
あの場所の中でもう一度考え感じて、それから現地の人に会わなくちゃ。
何もあてもないまま、先にスケジュールを入れた。飛行機を予約し、場所の近くの宿もおさえた。17日〜19日。半年前、17歳になってから「親元を離れた生活をお試しする」という目的で利用するようになった娘のショートステイを同じ日程で手配。最終日から中学生になった息子のはじめての中間考査があると分かって慌てたが、まあいいや。
地元で同じ思いで活動しているかたがたとご縁を求めて、時間を見つけてはネットサーフィン。検索ワードは、函館/貧困/……などなど。
北斗市と北斗市に統合されなかった七飯町(有名な観光地・大沼公園のあるところ。叔母が住んでいる)、森町、八雲町など、函館と函館近郊を含む地域を「渡島(おしま)地位域」と呼ぶことが分かってからは、これも検索ワードに加わった。
そこで「はこだてせいかつコミュニティ」という団体のご活動が取材されテレビ番組になったという記事を見つけた。最近、新しい住まいの形として注目されているシェアハウスをつくり、路上生活を送っている若者たちに住む場所を提供しているというご活動。さまざまな反響が載っていて、その中には「貧困ビジネスまがいだ」という批判もあったけれど、番組そのものを見ていなかったし、ハーバー横浜の取材で、まったく意図がなくてもそういう疑いの目で見らることがあるとうかがっていたので、思い切って、思いをつづった手紙を書いて出した。
そして今日の昼。めずらしく老母と外食しているとき、お電話をいただいた。とても気さくなかたで、説明べたな私の雲を掴むような話を気軽に受け止めて下さり、19日の朝、会って下さるとのことで、感激。
少しお話する中で、わたしと同い歳の障害のある娘さんがいらっしゃると分かり驚き、とてもご縁を感じた。
ワクワク、ドキドキ!
何もあてもないまま、先にスケジュールを入れた。飛行機を予約し、場所の近くの宿もおさえた。17日〜19日。半年前、17歳になってから「親元を離れた生活をお試しする」という目的で利用するようになった娘のショートステイを同じ日程で手配。最終日から中学生になった息子のはじめての中間考査があると分かって慌てたが、まあいいや。
地元で同じ思いで活動しているかたがたとご縁を求めて、時間を見つけてはネットサーフィン。検索ワードは、函館/貧困/……などなど。
北斗市と北斗市に統合されなかった七飯町(有名な観光地・大沼公園のあるところ。叔母が住んでいる)、森町、八雲町など、函館と函館近郊を含む地域を「渡島(おしま)地位域」と呼ぶことが分かってからは、これも検索ワードに加わった。
そこで「はこだてせいかつコミュニティ」という団体のご活動が取材されテレビ番組になったという記事を見つけた。最近、新しい住まいの形として注目されているシェアハウスをつくり、路上生活を送っている若者たちに住む場所を提供しているというご活動。さまざまな反響が載っていて、その中には「貧困ビジネスまがいだ」という批判もあったけれど、番組そのものを見ていなかったし、ハーバー横浜の取材で、まったく意図がなくてもそういう疑いの目で見らることがあるとうかがっていたので、思い切って、思いをつづった手紙を書いて出した。
そして今日の昼。めずらしく老母と外食しているとき、お電話をいただいた。とても気さくなかたで、説明べたな私の雲を掴むような話を気軽に受け止めて下さり、19日の朝、会って下さるとのことで、感激。
少しお話する中で、わたしと同い歳の障害のある娘さんがいらっしゃると分かり驚き、とてもご縁を感じた。
ワクワク、ドキドキ!
2014年5月19日月曜日
神奈川生活サポートさんを取材する
路上生活をしている人たちには障害のある人が多いのだ。障害ゆえ、親から、学校から、施設から、職場から、虐待され逃げ出した。排除された。……“ホームレス障害者”を読んでそれがハッキリと分かった。
「どうにかしよう」と思ってから半年経ってしまった。
障害のある人に対する差別意識に基ずく行動や言動によるプレッシャーを隣人である家主から受け続け、度を越して来たので司法に相談し、私たちの主張(これら行動や言動は許されざる所行であり社会生活上続けてはならない)が妥当だと言う見解をもらい、管理者である不動産屋に「もうし(させ)ません」と念書をもらったにも関わらず、もう一秒も住み続ける気になれず、わずか一年で、再びこの春、隣町に引っ越した。……そんな半年だった。
今のご近所はとても親切で心が豊かなご家族ばかり。この安心。子ども達を育てながら10年住んだ処のご近所を思い出す。おかげでやっと「住む処を追われる人の気持ちがリアルに分かる貴重な経験をした」と振り返ることが少しだけできるようになった。
“ホームレス障害者”の著者、鈴木さんは、神奈川県のキリスト教会で、路上生活をしている方々を支援する活動をされている。思い切って「路上生活の方々が障害認定を受けるまでの間の住まいも含め
て提供出来るような障害のあるひとのためのグループホーム」というアイデアも含めて、お手紙を出して相談してみた。
すると、先週、お心のこもった温かいお返事をいただき、その中で「沢山の困難がある事業であり、個人で成し遂げることは難しいと思う」という貴重なアドバイスをいただいた。
そして、今日は横浜にある「神奈川生活サポート」に、娘を連れて取材に行った。「バリアフリー実踏調査団ポルトドス」のフィールドワークを娘と行っている月曜日だったので、いつも同行してくれている介助者のかどやんも一緒に来てくれた。
検索ワードでここ半年、機会をみつけては検索して見つけたのだ。なんと、私のアイデアをすでに具現している方たちがいた!それが神奈川生活サポートさんだった。
インタビューは素晴らしいものになった(必読=ホームページの記事)。
取材を受けて下さった石上さんは「とにかく、当人たちもふくめ、現地の人たちと知り合って現地の状況・ニーズを知らなくては何も始まらないと思います」と、力強いアドバイスをくださった。
どなたか、同じ思いの上で活動されている、現地(北斗市向野近隣)の組織・団体と巡り会い、ともにどんなものが必要とされているかを計り、ともに実現すること。
自分のアイデアにとらわれず、住まいってなんなんだ、どんなものが必要なんだ、ということを、思いつく限り、ご縁がある限り、聴いて聴いて聴きまくって、計画を有機的に育てながら実現すること。
どう動いたらいいかが見えて来た。

“ホームレス障害者”
「どうにかしよう」と思ってから半年経ってしまった。
障害のある人に対する差別意識に基ずく行動や言動によるプレッシャーを隣人である家主から受け続け、度を越して来たので司法に相談し、私たちの主張(これら行動や言動は許されざる所行であり社会生活上続けてはならない)が妥当だと言う見解をもらい、管理者である不動産屋に「もうし(させ)ません」と念書をもらったにも関わらず、もう一秒も住み続ける気になれず、わずか一年で、再びこの春、隣町に引っ越した。……そんな半年だった。
今のご近所はとても親切で心が豊かなご家族ばかり。この安心。子ども達を育てながら10年住んだ処のご近所を思い出す。おかげでやっと「住む処を追われる人の気持ちがリアルに分かる貴重な経験をした」と振り返ることが少しだけできるようになった。
“ホームレス障害者”の著者、鈴木さんは、神奈川県のキリスト教会で、路上生活をしている方々を支援する活動をされている。思い切って「路上生活の方々が障害認定を受けるまでの間の住まいも含め
て提供出来るような障害のあるひとのためのグループホーム」というアイデアも含めて、お手紙を出して相談してみた。
すると、先週、お心のこもった温かいお返事をいただき、その中で「沢山の困難がある事業であり、個人で成し遂げることは難しいと思う」という貴重なアドバイスをいただいた。
そして、今日は横浜にある「神奈川生活サポート」に、娘を連れて取材に行った。「バリアフリー実踏調査団ポルトドス」のフィールドワークを娘と行っている月曜日だったので、いつも同行してくれている介助者のかどやんも一緒に来てくれた。
検索ワードでここ半年、機会をみつけては検索して見つけたのだ。なんと、私のアイデアをすでに具現している方たちがいた!それが神奈川生活サポートさんだった。
インタビューは素晴らしいものになった(必読=ホームページの記事)。
取材を受けて下さった石上さんは「とにかく、当人たちもふくめ、現地の人たちと知り合って現地の状況・ニーズを知らなくては何も始まらないと思います」と、力強いアドバイスをくださった。
どなたか、同じ思いの上で活動されている、現地(北斗市向野近隣)の組織・団体と巡り会い、ともにどんなものが必要とされているかを計り、ともに実現すること。
自分のアイデアにとらわれず、住まいってなんなんだ、どんなものが必要なんだ、ということを、思いつく限り、ご縁がある限り、聴いて聴いて聴きまくって、計画を有機的に育てながら実現すること。
どう動いたらいいかが見えて来た。

“ホームレス障害者”
https://www.nippyo.co.jp/shop/book/6020.html
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