無事に、函館せいかつコミュニティの坪内さんと会えた。函館の早朝と言えば、駅前の朝市……と、イカの美味しいお店に案内してくださる。
私と同い歳の障害がある娘さんがいるにしてはお若いので訊ねると、まだ70代前半「もとヤンパパ」だったとおっしゃる。キリスト教信徒で結婚しないと床をともにできないという規則があり、お連れ合いと一刻も早く一緒になりたくて若く結婚したんです、と笑いながら説明してくださった。
娘さんのことーー当時は学齢期の障害のある子どもに当然の様に措置されていた就学免除(学校に行かなくていいという通知)に憤り、抗う親たちの活動をしていらした頃のことや、建築のお仕事にもついていたことがありD.I.Y.で自宅を設計されたこと、フランスの(これも私が生まれた歳に発足したらしい)ラルシュというキリスト教会が主体となった障害のある人の共同体を見学に行って感銘を受けたこと、静岡にも「かなの家」というラルシュがあることなど、たくさんの素敵なお話をうかがった。
さっそく場所に行ってみよう、ということになり坪内さんの車に乗せてもらって現地へ。バスではなく乗用車だと30分くらいで着く距離だった。
玄関のドアノブにはロープがグルグル巻き付けてあるだけで錠は外れていたのだけど、少し押したがビクともしなくて中に入るのをあきらめていたのだが、坪内さんはドアに近づいてロープをほどくと、まったくためらいない感じでドアをバンッと蹴っていとも簡単に開けてしまった。
中は……想像以上に荒れ果てていた。台所など水回りはもうドロドロ。畳の部屋は比較的状態はいいのだけど。そのまま残されたカーテンや暖簾、壁にかかったままの画など人が暮らして来た証が、ますます痛々しさを強調して。
一番奥の部屋に、この家の主ーー又蔵さんとお連れ合いの遺影と仏具が残されていたのには打ちのめされてしまった。おそらく家を出るときご長男が置いて行かれたのだろう。遺影を立てかけ飾りなおした。
ご長男には何としても会わなくちゃ。そして何としても、法的な正当性がどうこうとか財産がどうとか抜きに、心から謝らなくちゃ。
坪内さんは、まったく動揺する様子もなく「使えそうだ」といいながら床や柱の寸法を測っている。リフォームできる段階なのだろうか、とちょっと希望が湧く。
「簡単な図面を起こします」とおっしゃってくださった。あちらからもこちらからもはっきりとお返事や具体的な提案がないままで、とにかく再会を約束し別れた。
待ち合わせ時刻に大幅に遅れて函館の北方民族資料館前到着、安積さんたちとでかろうじて合流しケータイを返却。飲み喰いするうちに、空港へのバスに乗る時刻になった。またすぐ会えそうな気がする。
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