北斗市は、10年くらい前に、亀田郡の町村のうち、上磯町と大野町(現・向野)のふたつが合併した市。上磯側の町役場が市役所本庁舎になり、大野側の町役場が分庁舎になったようだ。ざっくり言えば上磯は海の幸(漁業)で大野は山の幸(農業)。
場所の最寄りのバス停が「分庁舎前」。函館から路線バス一本で来れるが1時間近く乗車する。
この間、帰りのバスが出るまでの時間を利用して、分庁舎に寄り事情を話して「はこだて広域森林組合」に草刈りを依頼した。帰宅してからメールのやりとりをし、今日、作業終了のお知らせが来た。現況の写真も添えてあり、雑草雑木は跡形もなく家と大木だけが残っている。ホッとひと安心。
大木はけやきだった。それにこの間は気がつかなかったが、なかなか立派な青森ヒバの木が寄り添うように立っていた。
2013年11月27日水曜日
2013年11月16日土曜日
北斗市向野(旧大野町)の場所を訪れるまでの成り行き
場所を訪れるまでの成り行きはこう。
祖父母が亡くなったとき、母がこの場所を相続した。その場所はそれ以前から借りて住んでくださっているご家族(祖父母の親戚すじの方)がいらっしゃった。
そのご家族の旦那さんに続き、3年ほど前、そのご家族の奥さまが亡くなられた。同居していた息子さんが当然住み続けるだろうと思っていた母は、その後、地代の未払いが続き(このとき、未払いの地代を要求する文章をExcelで作成するのを私は手伝った!)、祖父母が管理していたその辺り一帯の土地を託された伯母と従姉妹夫婦に相談する。「借り主の変更手続き」をしていただくべく、従姉妹のお連れ合いが間に立ってくれて交渉するが、息子さんは「経済的に自分に地代を払い続けることはできない」とおっしゃった。
母は「せっかく父が私のために残して財なのに」と考え今後も場所をどなたかに貸して不労収入を得たいという意向を示したので、「では次の借り主をさがさなければいけないので、家屋を撤去した上で退去してほしい」という要求になった。
息子さんは、家屋を撤去することはできず、追い立てられるような形で、隣町の公営住宅に引っ越した。撤去の費用は地代を払えない状況だったの出す事ができなかったのは当然。息子さんにとっては生まれ育った場所なのだから、とても悔しかったと思う。
その後、従姉妹のお連れ合いが一生懸命、売り手や借り手を探してくれたが、一向見つからず。まさしく「空家問題」の事例となっていく。
今年、“障害者ホームレス”という本を読み「やっぱりそうだったのか!」と改めて学び、「空家問題などと言っているときに一方で住むところを追われている人がいるなんて」と憤る。また、今年の正月に、たったの700M引っ越した借家で初めてあからさまで恒常的な「障害者差別」の害を受け続けている(←このストーリーについては、いずれ書き込みます)
そんなことからふと思い出して母に「そういえばお爺ちゃんからもらった土地、どうなったの?」と訊ねると「どうにもなっていない」という母の答え。
矢も盾もたまらず出かけたというワケ。
祖父母が亡くなったとき、母がこの場所を相続した。その場所はそれ以前から借りて住んでくださっているご家族(祖父母の親戚すじの方)がいらっしゃった。
そのご家族の旦那さんに続き、3年ほど前、そのご家族の奥さまが亡くなられた。同居していた息子さんが当然住み続けるだろうと思っていた母は、その後、地代の未払いが続き(このとき、未払いの地代を要求する文章をExcelで作成するのを私は手伝った!)、祖父母が管理していたその辺り一帯の土地を託された伯母と従姉妹夫婦に相談する。「借り主の変更手続き」をしていただくべく、従姉妹のお連れ合いが間に立ってくれて交渉するが、息子さんは「経済的に自分に地代を払い続けることはできない」とおっしゃった。
母は「せっかく父が私のために残して財なのに」と考え今後も場所をどなたかに貸して不労収入を得たいという意向を示したので、「では次の借り主をさがさなければいけないので、家屋を撤去した上で退去してほしい」という要求になった。
息子さんは、家屋を撤去することはできず、追い立てられるような形で、隣町の公営住宅に引っ越した。撤去の費用は地代を払えない状況だったの出す事ができなかったのは当然。息子さんにとっては生まれ育った場所なのだから、とても悔しかったと思う。
その後、従姉妹のお連れ合いが一生懸命、売り手や借り手を探してくれたが、一向見つからず。まさしく「空家問題」の事例となっていく。
今年、“障害者ホームレス”という本を読み「やっぱりそうだったのか!」と改めて学び、「空家問題などと言っているときに一方で住むところを追われている人がいるなんて」と憤る。また、今年の正月に、たったの700M引っ越した借家で初めてあからさまで恒常的な「障害者差別」の害を受け続けている(←このストーリーについては、いずれ書き込みます)
そんなことからふと思い出して母に「そういえばお爺ちゃんからもらった土地、どうなったの?」と訊ねると「どうにもなっていない」という母の答え。
矢も盾もたまらず出かけたというワケ。
2013年11月13日水曜日
35年ぶりの北斗市(旧・大野町)。主人を失った住居はまるで……
泣くなんて思ってなかった。まるで動物の死骸みたいだった。
祖父が管理していたここ一帯の土地の多くを託された今は札幌に住む大伯母と従姉妹夫婦。お連れ合いに相談すると、一度も面識がないにも関わらず、気にかけてくれていて親切にも現地に出向いてくれるというので、それを頼って、朝8時半に待ち合わせ。Googleマップのおかげで、夏休み限定の訪問者でしかも35年ぶりという処でも、住所さえ知っておけば、車の免許がなくてもタクシーが好きでなくても、怖れず現地集合できる。
「大野川だ」
長期に家を空ける仕事である船乗りの父と東京都新宿区で所帯を持った助産師の母は、兄を生むときは栃木県の父の実家に、私を生むときは自分の実家であるここで里帰り出産をした。母は幼い子と赤ん坊をひとり都会で育てることは無理だと気づいて長逗留に作戦変更し、私は三歳くらいまでここで育ったそうだ。小学校を卒業したころーー祖父母が相次いで亡くなった年までは、毎年夏休みは決まって、母に連れられて、この辺りにあった祖父母の家(=母の生家)に来ては、従姉妹や再従兄弟たちと、この川で毎日、水浸しのどろんこになって遊んだ。記憶より立派で勢いがある印象。
無事に従姉妹のお連れ合いと落ち合い「ここですよ」と示された場所を見て絶句。雑草どころか雑木に呑み込まれている古家。近づけない。ただ場所のど真ん中に生えている巨木だけが「人間に飼われなくても結構。ここは生き続けている土地だ」と堂々とした口調でもって語りかけてくれるようで、死骸のような古家から目を背け、すがるように巨木一点ばかりを見上げながら「うわー、うわー、えー」とうめきが止まらなかった。
3年後に、ついに青函トンネルを通って北海道に新幹線が上陸するそうで、この場所の在来線の最寄りである渡島(おしま)大野駅が、新駅として生まれ変わるという。「車なら7 〜8分。せっかくだから見てお行きなさい」と車で案内してもらいながら、気がついたら思いつきながら、そのままそれを打ち明け始める。
「ウチ、二人の障害のある子に恵まれて。その障害は重いとか複数に渡って、とか言われるもので。二人のおかげで沢山の出会いと発見の連続人生なわけなんですが」
「重い障害のある人は、良質な収容施設に行くのが幸せなゴールと未だに決めつけられていて、それ以外の道を……普通の住まいで普通の暮らしをしようとすると、もう、それは大変で」
「娘ももうすぐ17歳で人ごとじゃないんですよねえ」
「中学卒業後に色々通よう処を物色した時点で、連れ合いと出した結論は、施設である限りいい施設なんかない、いい戦争がないのと一緒だってこと。そうは言ってはみたものの、じゃあ明日どうかなったらどうすんの、って話で止まってしまって」
「あと、ちょうど“ホームレス障害者”という本を読んで、それまで何でか分からないけどもしかして、と思っていたことが本当で、路上生活をしている方々の多くが障害のある方だと知って」
「ふと思いついたんですが、あそこにグループホームを作ったらどうかな。路上生活の方も、障害のある人だと認定されるまで対応できるような。認定されれば少なくとも障害のある人のためのサービスは使えるわけだし。どうでしょう。需要はあると思いますか」……。
従姉妹のお連れ合いは、ただただ辛抱強く話を聴いてくれたあと、もうすぐ巣立ちの時期を迎えるわが子の行く末を心配する私の親としての純情という点を十分に感じ取ってくれ「お嬢さんや息子さんの住まいとして残す、というのもありだと思いますよ。この辺り、道南は積雪も北海道にしては少なく、年間を通して過ごしやすいし」とアドバイスをくれた。
新幹線の新駅になる一帯は、再開発のためにのっぺらぼうにされていて人気なし。重機がポツリポツリと置かれている。
再び場所に送ってもらいお別れする。バスを降りた北斗市役所分庁舎の辺りで見かけた小さなスーパーで供花や線香を仕入れて、法亀寺に戻って祖父母と先祖のお墓を参っていると、さっきは気がつかなかったいい匂いが。つられて歩いて行くと寺の裏に小さなベーカリーを発見。丁度お昼どきだ。美味しそうなエピやらコロッケパンやら買い込んで場所に戻ると、雑木をボキボキ素手でなぎ倒して何とかたどり着いた古家の縁側に腰掛けほうばる。お腹が満たされたとたん、ビックリするくらい、ボタボタボタと涙が出て来た。まるでこんなの主人を失った動物の死骸だ。ニュースで聞いた飛散し続ける放射能のせいで住めなくなった土地に置き去りにされた家畜のことも頭を巡る。
同時にここに住んでいたご家族(長年、この土地を借り住んでいた方)のこの場所、この古家に注いで来た愛情やかけがえのない物語の存在も、朽ちて落ちかかっている雨樋や家屋に食い込んだ草などを確認すればするほどハッキリと感じられる。どうしようもなくすっかりここが好きになってしまった。
「飢えて死のうとしているのにお金がないと目の前の食べ物を口にできないのと同じ、住む所を追われる人がいる一方で主人を失って屍をさらされている場所があるって絶対変でしょ。その気持ちがどうしても放っておけなくなった」。
「小さな事でもできるチャンスをもらった気がするから動こうと思う。何か変な方向に行くようだったら、さりげなく止めてね」。……
お墓参りの時に祖父母にお願いした。
早朝、飛行機に飛び乗って、函館空港からシャトルバス、そして函館駅で路線バス。現地を訪れてれから函館へ向かう路線バスも、現地の不動産屋に相談した後のローカル線も、昔、大伯母が案内してくれた函館山の夜景を観に夜ラーメンを食べてから乗り込んだバスも、何の下調べもせず、本数が限られているのにウソみたいにスイスイスイスイ、つながった。
「きっとこれは祖父母のGOサインだと思う。ちょっと何とかしようと思うけどいいよね?」。
帰ってから“場所の持ち主”である母に言った。「いい、いい。任せる」と二つ返事だった。
祖父が管理していたここ一帯の土地の多くを託された今は札幌に住む大伯母と従姉妹夫婦。お連れ合いに相談すると、一度も面識がないにも関わらず、気にかけてくれていて親切にも現地に出向いてくれるというので、それを頼って、朝8時半に待ち合わせ。Googleマップのおかげで、夏休み限定の訪問者でしかも35年ぶりという処でも、住所さえ知っておけば、車の免許がなくてもタクシーが好きでなくても、怖れず現地集合できる。
「大野川だ」
長期に家を空ける仕事である船乗りの父と東京都新宿区で所帯を持った助産師の母は、兄を生むときは栃木県の父の実家に、私を生むときは自分の実家であるここで里帰り出産をした。母は幼い子と赤ん坊をひとり都会で育てることは無理だと気づいて長逗留に作戦変更し、私は三歳くらいまでここで育ったそうだ。小学校を卒業したころーー祖父母が相次いで亡くなった年までは、毎年夏休みは決まって、母に連れられて、この辺りにあった祖父母の家(=母の生家)に来ては、従姉妹や再従兄弟たちと、この川で毎日、水浸しのどろんこになって遊んだ。記憶より立派で勢いがある印象。
無事に従姉妹のお連れ合いと落ち合い「ここですよ」と示された場所を見て絶句。雑草どころか雑木に呑み込まれている古家。近づけない。ただ場所のど真ん中に生えている巨木だけが「人間に飼われなくても結構。ここは生き続けている土地だ」と堂々とした口調でもって語りかけてくれるようで、死骸のような古家から目を背け、すがるように巨木一点ばかりを見上げながら「うわー、うわー、えー」とうめきが止まらなかった。
3年後に、ついに青函トンネルを通って北海道に新幹線が上陸するそうで、この場所の在来線の最寄りである渡島(おしま)大野駅が、新駅として生まれ変わるという。「車なら7 〜8分。せっかくだから見てお行きなさい」と車で案内してもらいながら、気がついたら思いつきながら、そのままそれを打ち明け始める。
「ウチ、二人の障害のある子に恵まれて。その障害は重いとか複数に渡って、とか言われるもので。二人のおかげで沢山の出会いと発見の連続人生なわけなんですが」
「重い障害のある人は、良質な収容施設に行くのが幸せなゴールと未だに決めつけられていて、それ以外の道を……普通の住まいで普通の暮らしをしようとすると、もう、それは大変で」
「娘ももうすぐ17歳で人ごとじゃないんですよねえ」
「中学卒業後に色々通よう処を物色した時点で、連れ合いと出した結論は、施設である限りいい施設なんかない、いい戦争がないのと一緒だってこと。そうは言ってはみたものの、じゃあ明日どうかなったらどうすんの、って話で止まってしまって」
「あと、ちょうど“ホームレス障害者”という本を読んで、それまで何でか分からないけどもしかして、と思っていたことが本当で、路上生活をしている方々の多くが障害のある方だと知って」
「ふと思いついたんですが、あそこにグループホームを作ったらどうかな。路上生活の方も、障害のある人だと認定されるまで対応できるような。認定されれば少なくとも障害のある人のためのサービスは使えるわけだし。どうでしょう。需要はあると思いますか」……。
従姉妹のお連れ合いは、ただただ辛抱強く話を聴いてくれたあと、もうすぐ巣立ちの時期を迎えるわが子の行く末を心配する私の親としての純情という点を十分に感じ取ってくれ「お嬢さんや息子さんの住まいとして残す、というのもありだと思いますよ。この辺り、道南は積雪も北海道にしては少なく、年間を通して過ごしやすいし」とアドバイスをくれた。
新幹線の新駅になる一帯は、再開発のためにのっぺらぼうにされていて人気なし。重機がポツリポツリと置かれている。
再び場所に送ってもらいお別れする。バスを降りた北斗市役所分庁舎の辺りで見かけた小さなスーパーで供花や線香を仕入れて、法亀寺に戻って祖父母と先祖のお墓を参っていると、さっきは気がつかなかったいい匂いが。つられて歩いて行くと寺の裏に小さなベーカリーを発見。丁度お昼どきだ。美味しそうなエピやらコロッケパンやら買い込んで場所に戻ると、雑木をボキボキ素手でなぎ倒して何とかたどり着いた古家の縁側に腰掛けほうばる。お腹が満たされたとたん、ビックリするくらい、ボタボタボタと涙が出て来た。まるでこんなの主人を失った動物の死骸だ。ニュースで聞いた飛散し続ける放射能のせいで住めなくなった土地に置き去りにされた家畜のことも頭を巡る。
同時にここに住んでいたご家族(長年、この土地を借り住んでいた方)のこの場所、この古家に注いで来た愛情やかけがえのない物語の存在も、朽ちて落ちかかっている雨樋や家屋に食い込んだ草などを確認すればするほどハッキリと感じられる。どうしようもなくすっかりここが好きになってしまった。
「飢えて死のうとしているのにお金がないと目の前の食べ物を口にできないのと同じ、住む所を追われる人がいる一方で主人を失って屍をさらされている場所があるって絶対変でしょ。その気持ちがどうしても放っておけなくなった」。
「小さな事でもできるチャンスをもらった気がするから動こうと思う。何か変な方向に行くようだったら、さりげなく止めてね」。……
お墓参りの時に祖父母にお願いした。
早朝、飛行機に飛び乗って、函館空港からシャトルバス、そして函館駅で路線バス。現地を訪れてれから函館へ向かう路線バスも、現地の不動産屋に相談した後のローカル線も、昔、大伯母が案内してくれた函館山の夜景を観に夜ラーメンを食べてから乗り込んだバスも、何の下調べもせず、本数が限られているのにウソみたいにスイスイスイスイ、つながった。
「きっとこれは祖父母のGOサインだと思う。ちょっと何とかしようと思うけどいいよね?」。
帰ってから“場所の持ち主”である母に言った。「いい、いい。任せる」と二つ返事だった。
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