2014年6月30日月曜日

そうだ札幌に行こう

函館から帰ってくると「未就学を考える会」の北村小夜さんから、9月に札幌で「障害児の高校進学を実現する全国交流集会 in 北海道」が開催されるという案内が届いていた。

北村さんのもとを初めて訪ねたのは、娘が特別支援学校中等部2年の進路指導を受けたころだから、大地震・津波・原発事故前の秋だったと思う。
1歳からの療育センター通いからはじまり肢体不自由児・重複障害児用心障学級(現・特別支援学級)、肢体不自由児特別支援学校中等部と、障害のある子専用の定番コースをきて、「もうええわ」とばかり義務教育で学校を終えることを決めた娘の、翌年からの生活を考えあれこれ「居場所」をさがしまわり、相談してまわっていた頃だった。

あらゆるところに見学や相談に行った。フリースペース、進学を目的とせず生活力アップを目標に掲げる私塾、公文式など生涯教育の場、夜間中学校、……。
そんな中「普通の高校(定時制高校など)に進学する」という選択肢について相談に乗ってくださったのが北村さんだった。
結局、娘がどうしたいのか意志を汲み取ることができないし(中等部進学の段で既に)娘が「シャバの学校で一斉授業を受けている姿」を私も連れ合いもどうしても想像できなくて、娘は「フリースペースに週2〜3日気が向いたら通う」という生まれて初めての気ままなプータロー生活を(一応時限を切って3年間)送ることに決めたのだが、5歳下の息子(同じ障害があるのに成り行きで、こちらは打って変わって保育園からずっとシャバコース)のことも気にかけて下さり、以来、色々な案内を送って下さっていた。

そうだ、札幌に行こう。

札幌と言えば、全国でも類を見ない介助制度、パーソナルアシスタント/ダイレクトペイメントを実現して来た先進都市だし、人工呼吸器を利用しながら、さっぽろ自立生活センターやベンチレータ使用者ネットワークを通して、全国の同じ状況の人を励ましてきた佐藤きみよさんや「夜バナ」の主人公、故・鹿野靖明さん、東京や大阪の障害のあるひとの自立生活運動と呼応して10代にして札幌いちご会を結成し、介助や住まいについて、実践を通してとことん追求してこられた小山内美智子さんなど、私にとってのヒーローがたくさんいる聖地である。

従姉妹も、場所に最初に案内してくれたお連れ合いも、伯母も札幌にいる。
安積さんも。
息子も高校に行きたいと言うかも知れない。

2014年6月19日木曜日

のれんがかかった部屋の中

無事に、函館せいかつコミュニティの坪内さんと会えた。函館の早朝と言えば、駅前の朝市……と、イカの美味しいお店に案内してくださる。

私と同い歳の障害がある娘さんがいるにしてはお若いので訊ねると、まだ70代前半「もとヤンパパ」だったとおっしゃる。キリスト教信徒で結婚しないと床をともにできないという規則があり、お連れ合いと一刻も早く一緒になりたくて若く結婚したんです、と笑いながら説明してくださった。

娘さんのことーー当時は学齢期の障害のある子どもに当然の様に措置されていた就学免除(学校に行かなくていいという通知)に憤り、抗う親たちの活動をしていらした頃のことや、建築のお仕事にもついていたことがありD.I.Y.で自宅を設計されたこと、フランスの(これも私が生まれた歳に発足したらしい)ラルシュというキリスト教会が主体となった障害のある人の共同体を見学に行って感銘を受けたこと、静岡にも「かなの家」というラルシュがあることなど、たくさんの素敵なお話をうかがった。

さっそく場所に行ってみよう、ということになり坪内さんの車に乗せてもらって現地へ。バスではなく乗用車だと30分くらいで着く距離だった。

玄関のドアノブにはロープがグルグル巻き付けてあるだけで錠は外れていたのだけど、少し押したがビクともしなくて中に入るのをあきらめていたのだが、坪内さんはドアに近づいてロープをほどくと、まったくためらいない感じでドアをバンッと蹴っていとも簡単に開けてしまった。
中は……想像以上に荒れ果てていた。台所など水回りはもうドロドロ。畳の部屋は比較的状態はいいのだけど。そのまま残されたカーテンや暖簾、壁にかかったままの画など人が暮らして来た証が、ますます痛々しさを強調して。
一番奥の部屋に、この家の主ーー又蔵さんとお連れ合いの遺影と仏具が残されていたのには打ちのめされてしまった。おそらく家を出るときご長男が置いて行かれたのだろう。遺影を立てかけ飾りなおした。

ご長男には何としても会わなくちゃ。そして何としても、法的な正当性がどうこうとか財産がどうとか抜きに、心から謝らなくちゃ。

坪内さんは、まったく動揺する様子もなく「使えそうだ」といいながら床や柱の寸法を測っている。リフォームできる段階なのだろうか、とちょっと希望が湧く。
「簡単な図面を起こします」とおっしゃってくださった。あちらからもこちらからもはっきりとお返事や具体的な提案がないままで、とにかく再会を約束し別れた。

待ち合わせ時刻に大幅に遅れて函館の北方民族資料館前到着、安積さんたちとでかろうじて合流しケータイを返却。飲み喰いするうちに、空港へのバスに乗る時刻になった。またすぐ会えそうな気がする。

三千恵さんと出会う

昨日、函館駅前のバス案内所(ここは本当に頼りになる)で「ユニバーサルホーム日吉」の最寄りのバス停に行く路線・乗り場と待ち合わせ時刻に間に合う便は確認しておいた。
ここから、安積さんが合流することになっていたんだけど、出発の時刻になっても、道路が混んでいてまだかかりそう、という連絡。もう先に行くしかないな、と乗ろうとしたその時、向かい側に停まった高速バスから安積さんと介助の男性が降りて来た。他にお客もいなかったので、迷惑そうな運転手さんを何とか引き留めることができた。

一時帰国していた一年ほど前に東京で会って以来だと思う。まったく相変わらす元気そうで、介助の李さんに挨拶し、札幌に住むようになってからの出会いの話など近況を聞くうち到着。

電話で到着を告げ要領を得ない私を心配してバス停まで車で迎えに来てくれた鈴木さんに、車中で「グループホームは障害種別、そうでなくても障害者用、となっていますよね。誰でも、どんな方でも、というグループホームを初めて知って……」と言うと「ここはグループホームではないですよ」とキッパリ。驚き。普通の民間アパートを高い志と周到なコンセプトを持って建てたにすぎないと言う。

去年の暮れオープンしたばかりで、外観はきれいなマンションという感じ。入ってすぐの食堂は、近隣の人もアパートの住人も利用出来るよう食券制になっているとのこと。カウンター越しに厨房もある(区役所など公共施設の食堂みたいな感じ)。
ガイドヘルパーと手話通訳者がひとりずつ常駐。居室は、単身用から核家族用くらいのさまざまな大きさのものが37戸、家賃は管理費・共益費込みで5万円弱〜10万円弱くらいで設定。聴覚・視覚障害のかたを想定して作られているため優先はあるが、基本的に誰でも住んでよい場所という。

ベッドにはナースコール、壁には非常灯もついている。これらは各部屋設置前の状態にしてあり、入居者が決まってからその人の求めに応じて設置する。札幌いちご会で介助と住まいということを追求して来られた小山内美智子さんが公営住宅建設について提唱していた「ハーフメイド方式」と同じ考え方、とても合理的だ。

見学が済んで、食堂で鈴木さんとお話をする。私はここの設備やら、助成なしでどうしやって完成にこぎ着けたか、しばらく運営して問題は……などなど、たくさん質問があった。まずは同席されていたアパートの住人で聴覚障害のある若者に話を聴きたい、と鈴木さんの見るからに流暢な手話通訳に頼り切ってどんどん質問するうち、鈴木さんがとても疲れた様子で「少し休ませて」と。誠実で上質な通訳という仕事がどれほど全神経と全身体をこき使うことか、介助という経験から想像が働くはずの私なのに、また調子に乗ってやってしまった……。どうしよう、お詫びのことばが見つからない。

と、安積さんと鈴木さんの目があうと、鈴木さん自身が幼少期に実の親から受けた虐待の経験のこと、娘さん(娘と同年代)のこと、ある日ふとした思いから始めたミュージック・サイン(歌につける手話の表現)のこと……などを語って下さった。
さっき初めてお目にかかったときから、クールで落ち着いた物腰に魅せられてしまっていたのだけれど、お話を聴くうち、この鈴木三千恵さんがどんどん好きになってしまって、これからの旅の船頭さんになってくれそうな予感さえして、また調子に乗っておかしなことを言わないように自分を制するのに必死だった。

でも、聞いてしまった。
「どなたか、会うべきかたがいたら教えてください」
すると「横川由紀さん」と即答。横浜出身で、人工呼吸器を利用しながら函館で自立生活し、自立生活センターも企画しているかたという。

そして別れ際、思わずハグしてしまった。
三千恵さんはスッとハグを返してくれ、ホッとした。

その後は、安積さんのペース。函館のビジホに泊まるつもり、という私を「何言ってんの」と制止し、知り合いの大学生が暮らすマンションに押し掛け、雑魚寝する展開に。もっとも、ケータイの充電が切れ、充電器を持ってくるのを忘れた私は真っ青、電気屋さんももう閉まっていたため、明日の再会を約束して、安積さんがケータイを貸してくれたのでとても助かったのだけど。

強引なペースに引っ張られるのはすごく苦手だけど、今日はそれに助けられた。お礼を言わなくちゃ。



2014年6月18日水曜日

八郎沼公園

宿のご主人の「何でここに来たのかい」という問いから始まって、朝ご飯をいただきながら、あれこれおしゃべりするうちに、曾祖父・長八郎さんの話になる。

「四番目の子どもであった祖父が、おそらくは、お妾さんか恋人だった女性なのでしょうか、そのあたり、母の話はあいまいなのですが……のところに養子に出されたり、そこでいびられて、祖母と駆け落ち同然で結婚したり、と色々フクザツなことがあったようなのですが、わたしは、八郎沼公園の八郎さんのひ孫にあたるそうです」

「ああ、じゃあ郷土資料館に行けば、ひいおじいさんのことが詳しく分かるから行ってご覧。すぐそこ、大野小学校の横に建ってる古い建物だから」

お別れしたその足で訪ねてみると、向野(旧・大野)ゆかりの人物紹介のコーナーに長八郎さんの顔を発見。

開拓使を退職後この辺りで酪農を始めた愛媛出身の山田致人という人が、牛に水を飲ませるため池を堀り、後に水田用水としても利用した。そこの所有が郵便事業はじめ様々な起業をして活躍していたひいひいじいさんの中村長兵衛さんに移ると、管理を任されたのがひいじいさんの長八郎。大正時代に長八郎さんがこの池(沼)を養鯉場にして鯉料理で儲けようとしたのだけど、志半ばで、昭和6年(老母が生まれる前年)に亡くなり、それから、名前にちなんで「八郎沼」と呼ばれるようになった。昭和50年ころから整備されて、今は「八郎沼公園」として市民憩いの場になっている。長八郎さんは造り酒屋もやっていて地酒の名前は「大野川」。これも長八郎さんの死後途絶えて今はない、……というお話。ほうほうほう。

そのあと、函館に仕事で5年いたという古い友人がFacebookで教えてくれたアイスクリーム屋さんに行って見たが、時刻が早すぎてまだ開店前。しょんぼりしてしばらく歩いていると、渡りに船、という感じで金物屋さんが現れた。すっかり忘れていたけれど、草刈りにトライしようという元気がわき上がり、軍手と自治体指定のゴミ袋(品目ごとに色別になっていて分かりやすい)、そして鎌を購入。

場所に向かう道すがら、思いつき、種苗園で除草剤も購入。

しかし……刈れども刈れども先が見えない。しゃがんだ自分に立ちはだかる草が海に見えて来た。しけの大海原に浮かぶボートから水をかき出している気分。開始15分でさじを投げ、せめてお隣や公道を越えて迷惑がかからないように、と辺に沿って除草剤を蒔きはじめるも、それも2辺で一箱使い切り途中でリタイア。

「ずっと、いつも、すみません。所有者の娘です。早く何とか役立てていただける場所にしようと思っていますので、よろしくお願いします」とお隣さんにご挨拶出来たのだけが幸いだった。

2014年6月17日火曜日

ふたたび草ぼうぼう!

函館空港から路線バスで函館駅へ、そこから1番乗り場から路線バスで北斗市総合分庁舎前バス停へ。バス停の目の前にあるスーパーで墓参セット(ロウソクとお線香一回分)という便利なものを発見、供花とともに求め、法亀寺でお墓参りを済ませると、いそいそと場所に向かった。

げっウソでしょ!

半年前、森林組合に依頼して草・雑木刈りをしてもらった後の報告写真では、すっかりキレイさっぱり土面になっていた場所が、すっかり元通りに草ぼうぼうになっている!草木の生命力、おそるべし……。でもでもしかし、前回より雑木は少ないようだから、草刈りできるかも。気を取り直して、明朝、どこかで鎌を仕入れて挑戦してみようと思う。


夕方、場所から徒歩15分ほどの向野の宿に到着すると突然ケータイが鳴る。

げげっ息子の担任の先生からだ!

弱視で(おそらくは)読字障害がある息子はテストの文字を拡大する、介助者が問題を読み上げる必要があるため別室でテストを受けること、とか、手指が不自由で単独で書字ができないため、介助者が手を添えて書く、とか、調整(合理的配慮)が必要。初めての一斉テストということで「どうしよう」と相談があり「まあじゃあこんな感じでどうでしょう」と提案したのだった。

電話で、やっぱり介助者が手を添えるという部分、やはり正直なところ「本当なのか」という目で捉えてしまうこと、そのため、通知表の評価は「参考点」としたいという見解になったとのことで、謝っておられた。別学体制で障害のある子抜きの環境で教鞭をとって来られた中で、疑いが生じるは当然だし、通知表の評価についてはわたしも連れ合いも自分が当人のころからまったく意味を感じていないし気にしないタイプなので、どうか気に病まないでください、とお伝えしお礼を言って切った。

騒動があったわけじゃなくてホッとしたが、色々な理由で一斉テストに不向きで(アガリ症だとかそういうことも含めて)、そのせいで学習の機会を奪われてしまう子が少なからずいるんだよなあ、もったいないなあ、テストをなくすことで得ることは多いんだよなあ、とあらためて思う。

前回来たときに気になっていた「せせらぎ温泉」の看板。5分ほど歩いたところだ。訪ねてみると、大きな休憩スペースに室内用車いすが数台用意されていて多目的トイレもある。脱衣所が平日夜だけど近所の人たちで賑わっている。しかもヌルリと透明で超いい湯。
ラーメン屋さんで味噌をすすってから宿に帰ってバタンキューだった。

2014年6月15日日曜日

送った手紙

 はじめてご連絡申し上げます。わたしは東京都目黒区在住の柴田靖子と申します。
貴団体のご活動は、ホームページを拝見して知りました。

 実はいま、北斗市にある老母の土地に障害のある人のためのグループホームをつく
れないものかと考えはじめており、たくさんのかたがたの助言をいただきたくご縁を
求めているところです。

 老母が祖父から相続した土地が北斗市にあるのですが、数年前、長年借りて住まっ
て下さっていた方が亡くなってからは、借り手も買い手もつかず放置されています。
半年ほど前仕事でそちらに出向いた際、様子を見に寄ると、雑草どころか雑木が生い
茂り古家のドアにたどり着けないほど荒れ果てようで、そのみじめな様に涙がでまし
た。すぐに森林組合にお願いして草木を取ってもらいました。
 さて、わたしは二人の障害のある子に恵まれました。二人のおかげでたくさんの幸
運な出会いに恵まれ、それまで知り得なかった障害のある方々と知り合い、学び感じ
る機会を得ています。その中で、路上生活をしているかたがたの多くが障害のあるひ
とだということを知りました。住む人がなくなり持ち主に持て余され打ち捨てられた
土地がある一方で、障害ゆえ排除され、ひとところに住むことがかなわず不安の中で
生きているひとたちがいる理不尽を傍観している自分に腹が立って仕方なくなったの
です。
 そこで、路上生活をしている障害のあるかたが障害認定を受けられれば、障害者の
ためのサービスであるグループホームへの居住や生活介護が叶います。そうして生活
の基盤が安定すれば、先が開けるのではないかと考えました。突飛なアイデアかと
思ったのですが、すでにそのような事業を行っているかたが、お隣の神奈川県横浜市
でいらして先日お話をうかがってきました。とにかくその土地の事情にみあった活動
であるべきなので、そこに行ってすでにさまざまな活動をしているかたがたのお知恵
やお力を借りるべきであると教えていただきました。

 つきましては、一度見学にうかがい、お話をうかがうことはできませんでしょう
か。来週18日夕~19日昼過ぎまでそちらに滞在する予定でおります。もしご都合のつ
くお時間があればぜひよろしくお願いいたします。
 また勝手なお願いを重ねて恐縮ですが、お会いすべきかたのお心当たりがいらっ
しゃいましたら教えていただければ幸いです。

 以上よろしくお願いいたします。

お返事をお待ちしております。

2014年6月14日土曜日

誰でも住まえる集合住宅

もうひとつ、ご縁がありそう。

「ユニバーサルホーム日吉の家をつくる会」という団体が、どんな人でも住める集合住宅をオープンした、という記事をインターネットで見つけ、函館せいかつコミュニティ代表の坪内さんにあてた手紙とほぼ同じ内容の手紙をもう一件、メールで送ると、ご担当のかたが、とてもお心のこもったお返事メールをくださった。

 18日の夕方から見学できます、と快諾してくださり、また、集合住宅の中には、住人の方が利用出来る食堂もあり、そこで夕食もいただくことに。なんて素敵な展開!

 さて、大地震・津波と原発事故のあとオーストラリアに住んでいた友人の安積さんとは、ここ数年、Skypeの無料通話を使って、ずっとまとめようとしているテキスト(「インクルージョンが止まらない(仮)」)のことなど相談に乗ってもらったり、おしゃべりしたりしていた。
 半年ほど前、もうすぐ帰国するつもりだが、東京ではなく札幌に住もうと思っている、と訊いて「実はわたしも北海道でワルダクミをしようとしているんだよ。函館のほうだけど……」と打ち明けると、興味津々。さっそくいよいよ始まりそうだと報告すると「札幌から高速バスで行く行く!」と。

 久しぶりの再会も楽しみだ。

2014年6月13日金曜日

路上生活の若者のためのシェアハウス

あの場所の中でもう一度考え感じて、それから現地の人に会わなくちゃ。

何もあてもないまま、先にスケジュールを入れた。飛行機を予約し、場所の近くの宿もおさえた。17日〜19日。半年前、17歳になってから「親元を離れた生活をお試しする」という目的で利用するようになった娘のショートステイを同じ日程で手配。最終日から中学生になった息子のはじめての中間考査があると分かって慌てたが、まあいいや。


地元で同じ思いで活動しているかたがたとご縁を求めて、時間を見つけてはネットサーフィン。検索ワードは、函館/貧困/……などなど。

北斗市と北斗市に統合されなかった七飯町(有名な観光地・大沼公園のあるところ。叔母が住んでいる)、森町、八雲町など、函館と函館近郊を含む地域を「渡島(おしま)地位域」と呼ぶことが分かってからは、これも検索ワードに加わった。

そこで「はこだてせいかつコミュニティ」という団体のご活動が取材されテレビ番組になったという記事を見つけた。最近、新しい住まいの形として注目されているシェアハウスをつくり、路上生活を送っている若者たちに住む場所を提供しているというご活動。さまざまな反響が載っていて、その中には「貧困ビジネスまがいだ」という批判もあったけれど、番組そのものを見ていなかったし、ハーバー横浜の取材で、まったく意図がなくてもそういう疑いの目で見らることがあるとうかがっていたので、思い切って、思いをつづった手紙を書いて出した。

そして今日の昼。めずらしく老母と外食しているとき、お電話をいただいた。とても気さくなかたで、説明べたな私の雲を掴むような話を気軽に受け止めて下さり、19日の朝、会って下さるとのことで、感激。

少しお話する中で、わたしと同い歳の障害のある娘さんがいらっしゃると分かり驚き、とてもご縁を感じた。

ワクワク、ドキドキ!