2014年9月23日火曜日

横川さんとD.I.Y.

昨日はノーマライゼーション財団の事務所に寄ってご挨拶をしてから札幌を発ち函館に着くともう昼下がりだった。札幌では、どうしても時間が取れなくて、従姉妹夫婦と伯母に会えなかったのが残念!

函館駅で坪内さんと待ち合わせて再会、車に乗せていただき、日吉の家を訪ねて三千恵さん(足もみマッサージの実験台募集ということなので便乗)とも再会。
坪内さんの車は、車いすユーザーの娘さんのために助手席が道路に向かって降りてくるようになっている。……ということで、娘、車の助手席、初体験のドライブに。車中で、そして食事をしながら、色々お話を聞き、おしゃべりをしながら考えを巡らした。

私は、障害のある若者の状況は現実とつき合う中で日々感じ取り、ほんの少しは知っているけれど、貧困や暴力にさらされている子ども・若者のことは身の回りで実感を持って危機を感じる機会はほとんどなかった。
根の深い課題があるとき、いまそこにある危機を回避する行動をとることと、根本をみつめ思いを大切に扱って本当に必要な行動をとることは、どちらも優先してはならず常に同時にやらなくてはいけないことだ。
私がやろうとしているのは、どちらだろう。と、いうか私にでもできるのはどちら?

今日は再び、坪内さんが車を出してくださり場所に向かった。お隣の松本さんとまたお会いでき挨拶。本当に優しいかたで、なんとお庭にたわわになっていたブドウをもいで、勧めて下さる。……美味しい!会社を退職されてからは、高齢のかたのデイケア施設などをやっている法人の理事をされているという。なんてラッキー!と思う。福祉系の職場に関係あるからというだけではなくて、娘と行動していると瞬時に分かるのだけど、このかたは、障害があろうとなかろうと、お金持ちだろうと貧乏だろうと、物わかりが良かろうと悪かろうと、同じ人間としてつきあえるかただ。愛犬くんと一緒に記念撮影をしてしまった。

坪内さんとはほとんど同時に「思いを実現する(役立つ)場所にするためには、スポンサー、運営主体になる存在が必要だ」という結論を提案しあい、作って下さった古家の図面をいただき、お別れした。

バスの時刻をみるとお昼どきだからか本数が極端に少ない。市役所分庁舎で前回仕入れた市報に出ていた「リフトつきタクシー」の広告を思い出し、電話してみると、今から一件仕事があるがそれが済んだら来ていただけるとのこと、前回まだ開店前だったアイスクリーム屋さんで待ち合わせることに。
リベンジとばかり行ったアイスクリーム屋さんには「臨時休業」の貼り紙。次第に喪服を来た方が集まって来る。ご不幸があったようだ。寄ってきた可哀想なくらい痩せた子ねこにスーパーで仕入れたのり巻きを分けているうちに来て下さった。

運転手の北林さんは、渡島地区のタクシー協会の理事もしているかたで、ご自身のお母さまが身体が不自由になったことから福祉タクシーをはじめられたということだ。たくさんの肩書きと名刺を何枚も持っている不思議なかただった。もっとも説明べたの私がこの旅の目的をとりとめなく話すのを聞いたあちらのほうもかなり不思議に思ったに違いない。

三千恵さんが紹介してくださった横川由紀さんの事務所「かんばす」に到着。新しい事務所と聞いていたのでピカピカの建物かビルの一室だと思っていたら現れたのは、大きな古い建物。中は倉庫のように仕切りがなくガラーンとしている。もとはレストランだったこの建物を借り、内装はすべてD.I.Y.で改装していく計画。そしてこのD.I.Y.を地域の人たちに「一緒に作ろう!手伝って!」と声をかけ、つながる仕掛けにしていこう、という……なんとナイスなアイデア。10人くらいの人が出迎えてくださり、気がついたら机を囲んで自己紹介タイム、そのあとは、わいわいおしゃべりしていた。
横川さんは物腰の柔らかい気さくなかた。何だかはじめてお会いした気がしなくてまた調子に乗ってくつろいでしまった……。何だか気になるピンクのモモクロTシャツを来ている青年は、かずヒーローさんというかたで近くで一人暮らしをしている、自立生活第一号のかただという。横川さんにピタリと寄り添っているタカヤさんはじめ、みなさんひとくせ二癖ありそうな魅力的な人ばかり。
函館の施策はかなりキビしいもので、旧態依然な考えからまったく抜けられていないという地域の現状も訊くうち、横川さん自身へのインタビューが不十分まま、空港に向かわなきゃならない時刻になってしまった。

北林さんは待っている間にご親切にも娘の車いすのタイヤに空気を充填してくださり、アイスクリームを食べそびれた話をすると、アイスクリーム屋さんがある空港近くの函館牛乳の工場に寄ってくださった。

たくさんの出会いとご親切に恵まれて、そもそも高かった期待をはるかに上回った旅だった。どんなものを目指すか、見えてきた!

2014年9月21日日曜日

余市市で、自由な発想で事業を考える

新札幌で娘たちが電車に乗り込み合流、余市市へ向かう。ノーマライゼーション財団が発行している冊子で、余市市で障害のあるひとの住まいとしてだけでなく、日中、地域のかたが自由に利用できる場所として開放しているグループホームがあるという記事を読んで、お願いしたところ、快く取材に応じて下さったのだ。

駅に降りると「マッサン」というチラシやノボリがあちこちに。次のNHKの朝ドラの舞台がここ余市でエキストラで住民も参加したという新聞記事も。ここにニッカのウィスキー工場があることも創業者がマッサン(ドラマの主人公)だということもちっとも知らなかった。そして、例えば個人商店に宇宙がらみの名前が多いのが不思議だな、と思っていると、毛利宇宙飛行士の出身地なのだった。

グループホーム「樹の杜」は、幼いころからおつきあいのあった障害のある子どもたちの親ごさんたちで知恵を出しあい実現したグループホームだった。理事長の山本さん夫妻はとても親切に迎えてくださり、中も案内してくれた。住人の親ごさんたちはボランティアの理事となり経営側といいバランスで思いをぶつけながら運営している、という。必ずしも障害のある人という括りにとらわれない公的助成も増えて来ているので、自由な発想で考える余地はあると教えてくださった(インタビュー記事はホームページに掲載)。
「週末は、実家に帰るものと思いきや、ここが居心地がよくて帰りたがらなくて」と笑いながら住人である娘さんのことをおっしゃる言葉に、思いがこっちにいったりあっちにいったり動揺している親である私は、ものすごく励まされた。

札幌に戻り、目抜き通りで丁度やっていた「道内各地の美味しいものが集結!」というお祭りで夕食ということになる。人ごみの中で、日中、ボーッとしていた娘ががぜん元気に。食べることが好きだからか、それとも都会っこだからかなあ。

全国集会でご縁の予感

朝は娘たちと別行動で「高校へ行こう全国集会 in 札幌」の分科会へ。するとなんと、その分科会のシンポジストとして北斗市の場所のすぐ近くにある大野農業高校の先生が登壇している!ビックリ。なんたる偶然。
しかも山田真さんもいる。山田さんが編集委員をされているジャパンマシニスト社の子育て雑誌「ちいさい・おおきい・よわい・つよい」は、娘が幼いころ、むさぼるように読んでずいぶん子育て中のしんどい気持ちが楽になったものだし、編纂された「育児大全」は赤ちゃんがはじめて生まれた知人へ贈るお祝いの定番にしている。実際にお顔を見るのははじめてだが、大恩人だ。

昨日の全体会の資料をもらう。中に、七飯にある「道南福祉ねっと」という社会福祉法人の広告が目に留まった。コピーに大きく「インクルーシブ社会」と書かれている。今、書いているテキストの中でも大きなテーマなのだが、未だに、インクルージョンは統合(インテグレーション)のことだと誤解されていることが多いので、この文字を見かけただけでドキドキ期待してしまう。
北斗市を含む「道南」(バカリズムが言うところの北海道を持つとしたら持ち手になる所)の障害のあるひとの住まいに関わること・経緯を調べれば、すぐ「渡島(おしま)コロニー」の活動がヒットする。小山内さんが子どもだった1960年代ころは、この国では、コロニー(障害のある人が安心して暮らせる福祉村・共同体)創設運動がもっとも先鋭的だった。その時代からずっと活動をしてきた団体。コロニーというと、収容施設同様、山の上とか人里離れた……という印象があるけれど、今では地域でのグループホームや福祉的就労の場を提供しているようだ。
実は、前回の旅で坪内さんとお話した後、経営主体となる現地で信頼の厚い団体を探しそちらに場所を提供するという方法もあるなあ……と考え、ここにコンタクトを取ってみようかと手紙を書くところまでいったが、「コロニー」の3文字がどうしても気になって出せないでいたのだ。
広告には「どんなひとも……」とも書いてある。七飯といえば北斗市の隣町のはずだ。戻ったらすぐホームページをチェックしてみよう。



2014年9月20日土曜日

小山内さんが教えてくれたこと

アンビシャスに荷物を置くと、もう時間ギリギリ。娘と介助のマッキーと、小山内美智子さんのご自宅へと急ぐ。セキュリティーのしっかりした堅牢な感じのマンションだ。小山内さんと、(会報「いちご通信」に記事を載せて下さるということで)逆インタビューをしてくださる元・新聞記者の伊藤さんが温かく迎えて下さった。

小山内さんは、本の読者として持っていた「女傑」「レジェンド」という勝手な印象とはまったく違って、最初から寛容さオーラを放つ物腰の柔らかい優しいかただった。図々しい私はまたそれにつけ込みまだベラベラとまくしたてているな……と恥じながら、止まらず。本当にどうしようもない私。

お話は、何というか……本当に豪華でリアルだった。たくさんのことを教えていただいたが、中でも、私の計画の中の登場人物がどんなにみな「へのへのもへじ」の顔つきをしているかを気づかされたのは本当に有り難かった。制度がどうの法律がどうの、とかどういう方法で、とか「これとこれを揃えればOK」という答えばかり求めていたが、それだけでは絶対にうまくいかない、何の役にも立たない代物ができる、という大切なことを、ご自身の経験を語って下さりながら、しっかりと教えてくださった(インタビュー記事はホームページに掲載)。
お話を聞く間中、テーブルの上のお菓子を貪り食っていた娘も優しく励まして下さり、この18歳もなんだか強力なお守りをいただいたような気がした。

伊達市、天国系ビーチの家

「伊達市に素敵な土地が見つかった。シェアハウスを作ろうと思うので、札幌の初日、予定を変更して一緒に見に行こう」と安積さんから連絡があった。しかも「ハルちゃん(娘の名前)さえよければ、一緒に暮らしてもいいし」などと言う。即座に「無理無理」と断るが夜眠れずにそのことを考える。無茶苦茶なことを気軽に言ってくれるよあの人は、と動揺しながら、でも何てありがたい言葉だろう、とも思えて来る。

一泊になるのでスケジュール的に、全国集会の一日目、全体会を欠席しなくてはならないのは、とてもくやしいが仕方ない。
「もうすぐ18歳になる障害のある若者が親元を離れて北海道で共同生活をするという具体的な設定で、あれこれ想像をすることは、この計画の役に立つかもしれない」と今回の計画に役に立つ気もしてくる。

ということで、昨日午後は千歳空港に着いた途端、安積さんと李さんに出迎えられてそのまま駐車場に。そこから延々ドライブ。日暮れころ着いた伊達市で、有機野菜を使った美味しいレストランで“沁みる”夕食をいただき、知り合いの人がやっているという空家を利用したシェアハウスに雑魚寝。

そして今朝、再び車でその場所へ。広く静かな天国系ビーチの目の前、広大な土地にポツリと建つおしゃれな一軒家にはまだ主の若いご夫婦が住んでいて出迎えてくれた。
ビーチが見渡せる広い窓とグラウンドピアノ。旦那さんはピアニストで、まだここに暮らし続けたいと言うが、お連れ合いは子どもの教育などを考えて都市部に引っ越したいと思っているそうだ。(昨日、車窓から昭和新山をみてはじめて気づいたのだけど)火山どころだし大津波の恐怖もあるのかも知れない、と想像する。
しかしお話すればするほど、この家にはこの主しかいないというほどこの素敵な風景・家の一部のようなかたがたで「何とか住み続けて欲しいな……」などと心密かに願ってしまう。

駅まで送ってもらって安積さんたちと別れ、帰りは電車で札幌の「アンビシャス」へと急ぐ。